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「#未来のためにできること」お皿編

食事の後お皿をなめるのが我が家では推奨されているけれど、それを知る人はいない(はず)。
なぜなら、外で食べるときやお客さんが来ているときは、素知らぬ顔をしてなめる前の皿を「ごちそうさま」と片付けるのが暗黙の了解だからだ。

子供にそんなことを教えると外でもやって恥ずかしい思いをしそう、と思う方もいるかもしれない。でも案外大丈夫なもので、うちの子たちは幼稚園児のころ既にこの「なめ分け」を身に付けていた。

子供はすごい見ているしすごい分析している。赤ちゃんの真ん丸な目には大人が思うよりたくさんの物事が映っているし、幼児の頭の中では大人が思うよりたくさんの定義や仮説がぐるぐる廻っている。
集めた情報の総合量が少ないから、時々吹っ飛んだ論理が組み上がって大人を微笑ませたりする。でもそれは純粋で可愛らしくあるためにやっているわけではなくて、真剣に考えた末に出たひとつの理論なのだと思う。
この社会での立ち振舞いや言葉は、そういう日々の積み重ねなしでは身に付かない。生後1年くらいで(しかも寝てばかりの1年くらいで)それなりに周りとコミュニケーションが取れるようになるというのは大したことだ。

子供はすごい見ているし、大人はすごい見られている。だから子供は親が今「プライベートモード」なのか「公モード」なのかを親の言動や行動から察知できたりする。
そんなわけで無理やり話を戻すと、幼稚園生くらいの年齢になれば、なめる·なめないの区別はつけられるようになる。
(これは結果的に、「内と外では価値観が違うこともある」と子供に教えることになる。また、日々何気なくやっていることを手にとって考え直す姿勢を子供に示すことにもなる。それに関しても長所と短所があると思う。)
だから私は、食事の後お皿をなめることを是非とも勧めたい。

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ここで、皿なめの長所を3つ紹介したい。

①洗うのが楽

スポンジに残りがくっつかないのは言うまでもなく、唾液の中のアミラーゼが油分を分解するので食器洗剤も少なくて済む。食器洗剤使用量が少ないので洗い流しも楽。

②環境にやさしい

①で述べたように食器洗剤使用量が減るし、洗い流しで使う水の量を抑えられる。
また、お皿に付いたソースなどを流さないので排水の汚れも減るし、配水管にも優しい。

③最後までいただける

食べ物を最後までいただける。食物は排水に流れれば汚れだけれど、体内に入れば大切なエネルギー。自分用にキープした資源を、最後まで有効利用できる。

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いいことばかりじゃないか!

敢えて短所を挙げるなら、「お行儀が悪い」「マナーに反する」などだろう。

マナー(英語: manners)とは、人と人との関わりで当然その場面でしかるべきとされる行儀・作法のことを指す。これは自分一人のとき、他に見ている人が誰も居ない場合でもそれを守ることが望ましい価値観である。

Wikipedia 

マナーには、それを守ることで自分の価値を認められる力がある。自分を律する働きだ。
だけど考えてみると、マナーはここ数百年の間に出来上がった、最初は上流階級が自分たちを社会の上に置くために作り上げた決まりごとだと思う。だから、人間の在り様を普遍的に肯定するような価値は持っていない。現に社会が違えばマナーも違うのが、それを裏付けている。
人間と環境の関わりや人間が環境に及ぼす影響がどんどん明らかになってきている今、そろそろその「社会」の境界を広げる時期が来ている気がしてならない。

お皿をなめるのは、人と人との関わりではマナーが悪いと言えるかもしれない。でも人間以外の地球上の様々のことを考えたら、むしろマナーがいい。

そんなことを言いながら、私たち家族もレストランでお皿をなめる勇気はない。
実はみんな同じ様なことを考えながら、実は家ではお皿をなめて、外では知らん顔していたりして。それは残念ながら、それぞれの家庭に隠されているわけだけれども。

私の祖父は食後にお茶碗でお湯を飲むのを習慣にしていた。お寺ではお湯をお茶碗からお椀へ移し、最後に飲むという話を聞いたことがある。
これらはお皿をなめる長所を包括し、且つ上品でもある方法と言えるかもしれない。アミラーゼが効力を発揮できないのが唯一の難点(①参照)。

ご家庭でお皿をなめている方、よかったらコメント欄で教えてください。




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