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殴りたいなら殴れ!!!

ごきげんよう、ぺる秘書です。

わたしはオンラインでバックオフィスなどをしているフリーランスの秘書です。

うちには小4と小1の子どもがいます。
本日も、相変わらず殴りあい、罵り合いのケンカをしていました。

どちらも、わたしの元へ駆けより
「ママ、懲らしめてえや!ギッタギタに殴り返して!」
と言うのです。

ギッタギタのボッコボコって、昭和ジャイアンのセリフやん……。
と思うのを堪えて三角形のように親子3人離れて正座をして話を聞きます。

お互いに自分の正当性を主張し、自らの手をなるべく煩わせることなく相手を懲らしめたい。だから、わたしへ代わりの仕返しを要望します。

よし!分かった。仕返ししよう。
いいや、仕返しはできんよ。
殴ったらいけんやん。

そんなことは子どもたちには言いません。
どうするのかというと、

殴りたかったら、自分で殴れ。
殴る相手は、この家の責任者であるわたしじゃ!!!

とわたしを殴れと指示します。

この家で起きたすべての原因は、責任者であるわたしが目や耳が行き届かなかったからです。

また、わたしはやると決めたらやる人間だと子どもたちも知っているため、その空気に今にも泣きそうな顔をします。

兄弟は殴れても、母は殴れないのです。

そして、その時気づきます。

人を殴ったところで何の問題解決にもならない。
そして、相手を懲らしめて仕返ししてやれ!という思考の時の、なんと醜い表情なのかと。

相手に憎しみをこめているときは、本当は原因は相手ではなくて、自分自身が消化できていない問題があることが多いです。

わたしを殴れないと冷静になったところで、その問題を2人から丁寧にヒアリングします。

そして、最後は話し合いによって握手して和解します。


兄弟間で多少痛みの伴う意見のぶつかり合いは必要だと考えています。

身体の「痛み」は何の問題解決にもならないこと。
相手の不幸を願っている時の我が身は決して美しい生き方ではないこと。
そして少しずつでも良いから「話し合う」姿勢によって相手との理解を深めていくこと。

母は、子どもたちが理解できるまで何度でも体を張れるよう元気で生きていきます!


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