常識や当たり前は通用しない
子供たちと過ごしていると
『普通』なんて言葉は当たり前に通用しないし、
『なんで?今?それ?やるの?』が当たり前。
例えば
ご飯ひとつ食べるにしても
「今日は小さい机(食卓ではない勉強机)で食べようか!」
「今日はお天気だから、お外(ベランダ)で食べようか!」
そんなことは日常茶飯事。
『ご飯は食卓で、お行儀よく食べる』ということが
当たり前の概念としてあった私にとっては、
この子供達にとっての当たり前が
どうにも受け入れらず、毎回困り果てています。
ですが、
困るのは子供達ではなく、私自身なんですよね。
子供たちはとっても柔軟で、本当に賢い。
だから、
いくら私が家で困り果てていようと
集団生活の中では、きちんとお行儀よくご飯を食べているし
おじいちゃんおばあちゃんの家に行っても
ちゃーんと、いわゆる『お利口ちゃん』にご飯を食べています。
『郷に行っては郷に従え』と言いますが、
子供たちには言わずもがなで備わっているのかもしれません。
結局は母親である私が
『どう見られるか』という周りからの評価を氣にしているから
『ちゃんとしなきゃ』に囚われて困り果てるのです。
そう思えば、
家で、家族で過ごす時間に大切にすべきことって
お行儀や作法を教えるだけではなく、
いかに当たり前のない子供達の世界を楽しむか、
なのかもしれませんね。
<固定観念に縛られるということ>
社会にでると、少なからず
常識や当たり前が求められると思います。
ですが、
現代ではその常識が通用しない場面も多くなり
自分で自分の答えを導くスキルも要求されてきているのもまた事実かと。
これまで信じてきた常識が
一気に覆されることもあるこの時代では、
固定観念を外すことは容易なことではないかと思います。
もちろん、日本人として
日本人の遺伝子レベルで受け継がれてきたもの、
本当に大切なことは大切にしていく必要があるとは思います。
ですが、
その大切なものって、思っているよりずっと
少ないのかもしれません。
先ほど書いたように
子供たちには当たり前や常識といった概念はほとんどないですし、
今この瞬間の感情や感覚を大事にしているんですよね。
思えばこれって、マインドフルネスの状態なのかもしれませんね。
子供たちと過ごす時間は
固定観念をいとも簡単に外してくれる
何よりの学びなのだと感じます。
当たり前が通用せず
イライラ困り果てる毎日も
こうして大切なことを教えてくれているんですね。
たまには子供達の感覚に身を委ねて
日常を楽しんでみようと思います^^