パリでなんとかやっていくための、静かな条件
フランスという国は、おそらく僕が日本で抱いていた幻想とは少し違う場所だった。
特にパリ以外の田舎町は、最先端のファッションや洗練されたグルメやきらびやかな観光の気配も薄く、平和で静かで無骨な空気が流れている。
逆に、パリではセーヌ川に映る街灯のきらめきや、カフェのテラスから聞こえるフランス語の響きが心地よいのだが、住むものを拒絶するような一種の排他的な空気が漂う。
その感覚がただの観光で訪れた僕の胸の、どこか柔らかい部分に触れることは、確かにある。
でも、それは僕が日常として暮らす田舎町の風景とは少し違う。
パリは美しいけれど、完璧じゃない。
完璧じゃないからこそ、余白がある。その余白に惹かれる人間も、少なくないだろう。
僕は時々パリにいる友人を訪ねて、数日間滞在する。
やっぱりパリはフランスの中でも特別な場所だと感じる。
誰かが言っていた。
「Parisか、それ以外か…」
その言葉の意味を考えるたびに、僕はいろんな場面を思い返す。
まず、この街で生きるには潔癖を手放す必要がある。
日本では、知らない人が握ったおにぎりにすら警戒心を抱くのが普通だった。
でもここでは、カフェテリアのお兄さんがタバコを吸ったあと、そのままカフェやクロワッサンをサーブする光景に慣れなければならない。
いや、正確に言えば「慣れる」というより「気にしない」。
そんなふうにハードルを少し下げること。それがここで生きるコツの一つだろう。
清潔感の尺度を少し下げる。それは心の自由を手に入れるための儀式みたいなものかもしれない。
匂いの話をしよう。
パリの街角には独特の匂いが漂っている。
それは多分、僕が日本にいたときには想像もできなかった種類の匂いだ。
メトロの中では、いろんな匂いが混ざり合って、そこに香水の甘い香りが加わる。
フランス特有の「香水文化」というものは確かに興味深いけれど、匂いが苦手な人には少々ハードルが高いかもしれない。
僕はこの街の匂いを「パリの息吹」と思うことにした。
少し個性が強すぎるけれど、それもまたこの街の表情だ。
パリは静かな街ではない。
夜になると、隣人のカップルが窓を開けっ放しで愛を交わす音が聞こえてくる。
大声で罵り合う喧嘩の声がカルチェの路地に響き渡ることもある。
当然ながら、その罵声もフランス語だ。
僕はそんな怒声を聞きながら、教科書には載っていないフランス語を覚えていく。
こんな学習法も、悪くはないだろう?
この街で生活するには、ある種の柔軟性が必要だ。
何でも適当に受け入れて、人にも自分にも少し甘くなること。
完璧を求めない生き方。
それが、パリでの生活のコツなのだと思う。
Parisでは外食をするにはそれなりの予算が必要だ。
でも、新鮮な野菜や果物は意外と安くて、驚くほど美味しい。
田舎町ではなおさらお安いので、僕は自炊に力を入れることにした。
フランスのスーパーやマルシェで手に入る材料だけでも、十分に美味しい料理が作れる。
素材が良ければ、余計なテクニックなんていらないんだと、僕はこの街で学んだ。
結局、パリで生きるということは、自分自身と向き合うことなのだと思う。
これはParisに限った話じゃない。
どこで生きるにしても、多分同じだろう。
僕はここで、自分を好きになる術を少しずつ学んでいる。
どんなに美しい街に住んでいたとしても、自分のことを好きじゃなければ、その街はただの背景でしかないからだ。
パリの空気は冷たいけれど、その中に僕なりの温もりを見つけることができる日もある。
そういう日には、ここに来て良かったと思う。
これは僕の6つ目の記事。
もしあなたがこんな僕を応援してくれるというのであれば、その旅路を少しだけ見守ってほしい。
どこかで、一杯のコーヒーと共に。