目からおちた鱗と、「7つの習慣」
かの有名な「7つの習慣」という本がある。
新卒のときの上司に勧められて購入してから、一度も開かずに数年が経った。(なにかにつけて「7つの習慣にも〜」と言う人だった)
ひょんなことから久しぶりにその本の話になり、充電期間の私は重い腰を上げて読み始めたのだが、思わぬ発見をすることになる。
自己肯定感と、私
昔っから私は自己肯定感が低かった。自己肯定感というか自尊心というのだろうか、自分で自分を認めて、褒めてあげることが苦手だった。
そのくせ、そんな自分を守るために大口を叩いたり、プライドという鎧を着ていたりする。それが自己中心的と思われることもしばしばあり、それはそれは傷ついたものだった。
キャリアコーチングやカウンセリングを受けるたびに、その原因について問われるのだが、本当にわからなかった。親の愛は、(それが嬉しいかどうかは別にして)、きちんと受けていたように思う。両親と価値観が合わないことも多かったけれど、トラウマになるほどのこともなかった気がしていた。
「7つの習慣」の著者の話
著者スティーブン・R・コヴィーは、息子の野球を応援していた。だが、彼は野球がうまくなかった。スティーブンは「頑張れ!こう…すればうまくなれる!頑張れ!」と励まし続けたが、息子は「もう野球なんてやりたくない」と言い始めてしまった。
この出来事で、スティーブンは大きな気づきを得る。愛息に対してアドバイスをし、うまくなれるように励ますことは「今の君はヘタクソだ、不十分だ」と暗に伝えているようなもの、ということだ。
これを機に、スティーブンは息子を励ますこと、彼をからかう子から守ることをやめた。彼はすでに一人でも充分にやっていける存在だったから。息子は初めは急な変化に戸惑ったものの、結果的に自立し、野球でも学業でも良い成績を得るようになったのだった。
目から鱗が落ちた瞬間
正直、目から鱗とはこのことかと思った。
私は両親から寵愛を受け、これ以上ないほどに守られていた。四方八方を囲われ、私が判断できる領域は限りなく少なかった(その狭い範囲のなかで反発しまくってはいたのだけど)。事実、私の記憶には未成年での成功体験がほぼない。それが自己肯定感の低さに繋がっていたのだと腑に落ちた。
過去が昇華されたように感じた。
自分を認めるためには、自由のなかで自分が責任をもって動き、成果を出すことが必要ということだ。言い古されたような内容であるが、やはり真理である。
あたらしい自分へ
私は私に自由を与え、自分に責任を持たせる生き方をさせてあげよう。
そのためには心に余裕を持つこと、一方で自分の人生に覚悟を持つこと。そのうえで、自分の素直な良さをどんどん出していくこと。優秀なマネージャーそのものになって、自分をマネジメントすること、とも言えるかもしれない。(セルフマネジメントってこういうことだったのか)
誰かを愛するように自分を愛する。自分の良さを素直に認める。今日から私はあたらしい自分になる。