【学校創り日誌17】慢心
わたしは、まだまだ気持ちが中途半端だった。
こんにちは、Eriです。
前回のコンサルタントの後編記事を執筆中なのですが、記録が必要だと感じたので間にこの記事を挟みます。
このイベントにこの金額は出せない
先日、ある友人からTanzawa Autumn Campについて厳しいフィードバックをもらいました。
要求されている金額に対して、提示されている情報の内容や信用が見合っていない、といった趣旨のものでした。
もちろん、だまそうと思ってしたのではなく、記載してあっても広報ページではなく申込段階で確認できるものもあったので、完全にこちらの不手際です。
指摘された内容は、私の慢心、甘え、子育てや今の状況を言い訳にしているずるさから、受け取り手に感じさせてしまったものだと思います。
この記事が書き終わったら早急に対応しなければなりません。
もし、あのイベントの詳細をご覧になり、不快な思いをした方が他にもいらっしゃたのであれば、本当に申し訳ございません。
ターゲットがわかりにくい
実は別の日、別の方から「英語のアフタースクールは検討していないか」というご質問をいただきました。
たぶん、秦野市内に住んでいる方の中にはこうしたご希望をお持ちの方がすくなからずいらっしゃるのではと思います。
私は、これに対し、このようにお返事をしました。
私はここで「商業的スタンス」という、非常に嫌な言い方をしています。
商売について何も知らない、ただの現場教師の皮肉な言い方です。
自分で読み返していても、すごく嫌な気持ちになります。
こんな言い方を自分でしているくせにAutumn Campでは(利益は出ないにしろ)参加者から参加費を徴収しようとしているのです。
全くばかげた話だ。
理想と御託を並べるのではなく、今あるニーズに向き合うことも必要だったはず。
11月のCampについては、もう申込みも初めてはいるのですが、「この金額なら参加してみたい!」と思っていただけるように改善を進めていこうと思います。
ちなみに、こちらの記事にも書いていますが、私は英語の早期教育については「必要がなければしなくていい」「それよりも母語(得意な言語)による思考力の育成が早期には重要」と考えています。
それなのに、なぜインターナショナルスクールという形式を目指しているのかと言えば、今の日本の現状として向き合わなければならない多文化共生という社会の中で生きていくための教育の場として「多言語・多文化バックグラウンドをもつ人たちと共に学び、生きる練習の場が子どもたちにも必要」と考えているからなのです。これが私が重要と考える「思考力」につながると信じているからです。
なので、必ずしも「英語で学ぶ環境としてのインターナショナルスクール」という従来の形を目指したいわけではなく、その形態について模索中なのです。
(注:日本の公立学校はあくまで「国民」を育成するための教育施設なので、現状では日本語支援も活発になるなど対応が進んでいますが、「多文化共生」というよりも、日本語・日本文化への統一化が前提となっている環境がほとんどです。)
そのため、私がしようとしていることは「ターゲットがわかりにくい」。
これは創業塾の時から言われ続けてきました。
「誰のための、どんな事業なのか」
企業の基本であり、根幹である部分の共有が全然できていない。
人に説明できないということは、私の中でかみ砕けていない。
これも私の慢心、おごり、そして個人の執着であって社会課題の解決というレベルで考えてないからだと思います。
まだまだしなきゃいけないことがある。
柔軟にならねばならないことがある。
この気持ちを忘れないように、ここに記しておこうと思います。
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