リアル人生ゲームをやめて、ストレスフリーな人生へ
「さよなら、僕・・・。」
「さよなら、僕・・・。」
僕はリアル人生ゲームをやめることにした。
激動の時代を生き残る為には、僕は「疲れない」ことこそが悟りの生き方だと確信した。
あまり知られていないが、「疲れ」をとるだけで、「悩み」がなくなることはよくあることのようだ。悩みやすいかどうかは、問題解決能力や生まれもった性格などより、「疲れ」の方が数倍大きな影響を及ぼすのだ。
さらに、「疲れ=ストレス」というシンプルな法則がある。
疲れが深まると、ストレスは深まるのだ。同じ出来事でも疲れていると、同じストレスを2倍にも3倍にも感じてしまう。いつものことなのに、2倍も3倍も傷ついたり、元気なら立ち直れる失敗で、「死にたい」と思うほどつらくなってしまうのだ。いわゆるうつ状態にもなる。
僕らを悩ませる、現実的な問題や他人の言動はそう簡単には変えられない。しかし、僕自身のコンデショニングを整えることはできるのだ。
まずは、悩みやストレスの本当の原因は「疲れ」かもしれないと考え、まずはゆっくりと休養と睡眠をとることを優先していく。十分に休むことで悩みがなくなったり、解決策が見えてきたりするのだ。
そして、人間は「食べること」「安全であること」「子孫を残すこと」の根元的な欲求が満たされている時は、本能的に次の危機に備えてさらに生き残る確率をあげる行動をしていく。
僕がやめるリアル人生ゲームは、この本能的ゲームである。
この本能的ゲームは、生き抜く確立をあげるためにつながるので、ないがしろにできないもでもある。しかしこのゲームは、「満足する」ことのないゲームである。このゲームにこだわると、底なしの欲求に突き動かされて依存的になり、やがて僕がモンスターになってしまうからだ。
僕がやめるリアル人生ゲームは次の4つのゲームである。
① お金持ちになるゲーム
② 成長する(1番になる)ゲーム
③ 仲間をつくるゲーム
④ 自由になる(健康である)ゲームである。
① お金持ちになるゲームをやめる
最初に、お金持ちになるゲームをやめることにした。
お金持ちになるゲームをすることで、お金による豊かさから生き抜く可能性が高くなる。
僕はお金とは、
お金とは限りがあり、
お金は流動的で、使えば使うほど持っているお金が無くなり、
お金を増やすには、一生懸命に賢く働かなくてはいけないと・・教えられてきた。
しかし、本当にそうなのか?
お金持ちになるゲームは、決して勝つことのないお金という幻想に追われているゲームだ。また、はっきりしたルールも終わりもない為、「お金をたくさん持って豊かになりたい」という執着にかられている限り、僕たちは限りなくゲームを続けてしまうのである。
ゲームオーバーがない為、僕の人生が終わるまで総合スコアが分からなく、僕が死ぬまでゲームは続くのである。さらにゲームは流動的で明確なルールはない為、僕がどれだけ必死に戦っても安心することはなく、戦いは熾烈になっていくばかりになる。
そのうえ勝っても負けても幸せではない為、経験を重ねてレベルがあがっても、ストレスやプレッシャー、不安、痛み、失望といった代償が僕に永遠につきまとう。
実はお金の悩みというのは、すべて「気のせい」である。お金はすべて幻想であり、人類が生み出したひとつの共同幻想である。つまり、お金持ちになりたいというゲームは、お金というモンスターに脅かされ続けているという不毛なゲームなのである。
しかし、多くの人がお金持ちになるゲームを信じ込み、「経済的な豊かさこそ、もっとも価値が高いものだ」との価値観から、このゲームが成立してしまうのである。
僕はお金持ちなるゲームをやめるために、お金に感謝して循環させることで、無限の豊かさが手にいれることにした。
具体的には、僕自身の価値を高めることで、僕がお金を引き寄せる磁石になるのだ。僕が僕に感謝し深く僕自身を愛していれば、お金からも愛されるのである。
その結果、お金からの不安から解放され、本当の僕を取り戻し、創造的に生きることができる。
お金持ちになるゲームをやめて手に入れたものは、「僕の人生で最も大切な事に焦点をおくことができる」だった。
② 成長するゲーム(1番になるゲーム)をやめる
次に、成長するゲーム(1番になるゲーム)をやめることにした。
成長するゲームは、昨日より今日できることが増えたら生き残る可能性が高くなる。1番になるゲームは、何か優れた能力を持っていれば生き抜く可能性が高くなる。
僕は成長とは、
諦めてはいけない、逃げてはいけない
頑張るべき、成長すべき
最後までやりぬくべき
苦しくても我慢するべき
人に頼ったり甘えたりせず全部自分ですべき、迷惑をかけてはいけない
うまくいかない時は、僕が正しくないから
どこかに正解があるので、探すべき
嫌われてはいけない
人よりも優れていかなればならない・・・と教えられてきた。
しかし、本当にそうなのか?
多くの人が成功すれば幸せになれると考えているようだ。幸福感とは人間の脳と組織に競争意識をもたらすようだ。幸せを望む結果から1番になることを目指しているのかもしれない。だからこそ、成長しなければならないのかもしれない。
しかし、世の中では、さまざまなトラブルに直面し、理不尽なこともたくさんある。体力にも限界があり、頑張るだけでは難しいことや、予期せぬ理不尽に直面した時には、逃げてもいいし、やめてもいいし、人に甘えてもいいのだ。僕自身を苦しめず、柔軟にあきらめることはあきらめて、僕が僕を励ましながら、僕なりのゴールを目指していく。
だからこそ長い人生を生きていくためには、成長するゲームをやめる見極めが必要になってくる。
成長するゲーム(1番になるゲーム)をやめて手に入れたものは、「置かれる環境によって問題解決の方法を増やしていく、生きていくための知恵」だった。
③仲間をつくるゲームをやめる
そして、仲間をつくるゲームをやめることにした。
仲間をつくるゲームは、居場所があれば生き残る可能性が高くなる。
僕は仲間をつくるとは、
友達は多いほうがよい
お互いのことを知り尽くして、何でも話あえる親友をもつべきだ
仲間は話せばわかる
約束はずっと守るべきだ
たったひとつの本当の心がある
そして本当の僕がいる・・・と教えられてきた。
しかし、本当にそうなのか?
人間関係は昔から重大な課題であり、厳しい環境の中で、人は人と協力しなければならない。しかし、現代人のストレスの大半は人間関係である。
人は人を殺す可能性もあり、食糧や土地、異性を巡って、命がけの戦いを繰り広げたりもする。SNSの中傷によって、自殺してしまう人がいることからも、人間関係の苦しみの大きさは計り知れない。そもそも、人は人を恐れる生き物なので、人間は本能的に「みんな仲良く」できないのである。
ただ、人間は人間を恐れながらも、孤独を嫌がり、人を求める生き物である。他者の痛みを感じ、助けたいと思うのもまた人間の本能である。
僕たちが悩むのは、他人が僕の思いどおりにならないからだ。人間とはこうあるべきと教えられたが、理想と現実のギャップに直面して、少しのことで傷ついたり、僕自身を責めたり、相手に悪意があるいのではないかと想像してしまうのである。
さらに、どこを探しても、人間関係や人生の悩みがすべて解決するような万能の方程式もない。
人間か進化していく中で感情というシステムは、感情の選択による最適な身体と心を作ってくれている短期的なシステムである。そして理性は、理想イメージや「こうすべき」という価値観を作る、長期的な利益を追求するシステムである。
人間関係のトラブルは、人間同士の価値観がぶつかり合いで、イライラしたり不安になり感情がゆさぶられている状態である。この価値観のズレが大きくなるほど、ストレスが増えるのである。
人間は本当にいろいろで、いろんな感情や欲求をもち、ずるいところもあるし、弱くて不器用なところもある。しかし人間関係で問題がでたら、問題は相手にあるのではなく、実は「僕の中にある問題」がでてきているのだ。 つまり、大嫌いなあの人も目障りなあの人も、人間というのは実は僕の鏡なのだ。
しかし、今起きている問題や悩みの周辺には、必ずセットで解決する鍵が隠されている。
仲間をつくるゲームをやめて手に入れた物は「完全なる僕になるための、その鍵の探し方」だった。
④自由になるゲーム(健康であるゲーム)をやめる
最後に、自由になるゲームをやめることにした。
自由になるゲームは、自由でいられることは命を制限されないため、生き残る可能性が高くなる。また、健康であるゲームは、体力が維持でき健康であることは生命力に直結し、生き残る可能性が高くなる。
僕は、自由になる(健康である)とは、
新しい自分になれば、生まれ変われる
「運命」であれば、出会える
「すぐに、完全に」習得できる自分を求める
自分はまだ若く、まだイケる
健康のために××をしなくてはいけない
若いことは素晴らしい・・と教えられてきた。
しかし、本当にそうなのか?
人間は「どんな時間を生きてきたか」が、行動やパターンやふるまいなどが、成長のなかで無意識に刷り込まれ影響を及ぼしている。
また、人間は切迫して必要性を感じない限り、何かを学んでも定着しない。例えば、病気になってはじめて変わるという方向へベクトルが変わり、禁酒や禁煙ができるのである。
「自由に生きる」と思っていても、疲れていれば体力や気力、モチベーションが落ちていき、日々のやるべきことをこなすだけで精一杯になり、なかなか思い通りの活動ができない。
十分な準備をすることなく、「面倒なことはあとで考えよう」と楽観視すると、当然ながら思ったような結果がでないことの方が多い。例えば、早期退職したり思い切って起業するなどは、明らかに疲労する生き方だ。疲労が蓄積し、さらには経済的に困難になるケースも多くなる。つまり、人間が変わるというのは、大変な労力が必要なのだ。
誰かの期待に応えようようとするうちに、僕自身を見失ってしまい、僕はいったい何をしているのかさえ分からなくなってしまうのである。惰性の繰り返しで生きていると、僕たちは「生きている」という実感をもてなくなる。
そんな悪循環を断ち切るために、「しない」ことを決める習慣を身につけたり、チャンスが来てから取り組むのではなく、チャンスを掴む準備をする。チャンスは、僕の今の次元(レベル)からステップアップするものであり、少しレベルが高いことを要求されている。チャンスを掴む準備ができると、答えは「YES」しかない。チャンスは呼び寄せるものではなく、僕が計画的に起こすのだ。
さらに、「人生の目的」が僕を本当の自由にする。
今の僕にできることは、僕自身を幸せすることだ。その為には、僕が何をすれば幸せにできるかを、僕自身が知っているかが重要だ。人生の目的さえ分かれば、深い充実感とともに、どんどんエネルギーが湧いてくる。それは、僕自身の可能性を解放し、「ありたい僕」へと向かってどんどん変身していくのだ。
そして、僕の観念が、僕の人生をつくっている。そこで僕は、今までの観念を「ゆるす」ことにした。
過去にしがみつき、がんじがらめになっている人はたくさんいる。相手をゆるさないでいることが、僕自身を本来の僕から遠ざけてしまっている。僕たちは、恐れや怒りという感情の中に、心を閉じ込めてきた。ゆるしは自由への扉を開け放つのだ。どうしようもない過去を変えたいという思い込みや願望も自由にしてくれる。
毎日の生活の中で、「僕なら、どうするか?」と質問しながら、どれだけ魂が喜ぶ時間を過ごすことにした。また、言い訳をしている時間がもったいないので、「いま、ここに」に全力投球する。身体の動きと心の動きは繋がり、言葉は磁石のよう、現実を引き寄せていく。
ゆるしがすすむほど、僕の人生は幸せで豊かなものになるのだ。
ゆるしによって、僕の本当の姿が分かってくる。
ゆるしは癒しをもたらす。
ゆるしは、僕も他人も癒していく。
ゆるすことで、自由からも解放される・・・。
自由になるゲーム(健康であるゲーム)をやめて手に入れたものは、「ゆるすことで過去から解放され、いまこの瞬間を100%生きる喜びを味わえる」だった。
「はじめまして、僕。」
僕は、とうとうゲームをクリアーした。
本当の僕を取り戻し、お腹がすいたらご飯をたべて、身体を動かして頭もすっきりさせる。眠くなったら寝て、嫌なら避けて、怖いなら逃げる。疲れたら休む・・・。
ゲームの前は、こんな単純なことすら僕はできなくなっていた。
この僕の身体と心にしっくりくる、噛みあう心地よい感覚は、本来は動物である僕たちが、根本的に感じるものだ。
この根本的感覚になると、僕にとっての本当に必要なものが何かを常に理解し、僕は何をしたくて、何をしたくないかがハッキリわかる。
そして、この感覚のままに満たされ、心地よい行動することが、新しい僕なのだ。
つまり、毎日疲れていない僕・・・。
「はじめまして、僕。」
僕は、僕という根本的人間を生きることをはじめることにした。