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なぜ女性数学者は少ないのか

先日、たまたまYahooニュースで『「なぜ女性棋士はまだいないのか」女流棋士の私が考えてみた』という記事が目に留まり、読んでみた。

記事のURLです↓
https://bunshun.jp/articles/-/40150?page=1

将棋における性差に関して、女流棋士の上田初美さんが考察した記事である。
要約すると

・名人制度は400年の歴史があるが、女流棋士は発足から50年に満たないといった歴史の差
・競技人口の差
・平均的に見て、男子の方が将棋にハマりやすい
・女性として一つのことに向かい続ける難しさ

などが、いまだ女性棋士がいないことの要因として考えられる、といったところだ。
上の3つは数値的、統計的な事実をもとにした考察であるが、最後の一つは女性でなければわからない主観をもとにした考察である。

主観的であるというと、議論において説得力がないように思えるが、何かを行う主体について考察する以上、その主体の主観も無視できないと思う。
この記事での上田さんの主張に、数学者を志す女性として共感するものがあったので、私も数学における性差について考えてみることにした。

私が感じる女性として数学をすることの難しさ

STEM分野における女性の少なさや、将棋やチェスの女性競技人口の少なさについての議論では、脳の男女差について言及するものが多く見られる。
調べてみると、脳に男女差があるとする有力な論文はたくさんあるが、それに否定的な意見や、男女の差ではなく個人の差であるとの見解もあるようだ。
しかし、どちらが正しいかということは一旦置いておいて、私が日頃感じている「女性であるからこその数学の大変さ」について説明するのがこの記事の趣旨である。

上田さんの記事で、最後に書かれていた「女性として一つのことに向かい続ける難しさ」とは、具体的には生理が競技に影響を及ぼすということであった。
深い読みが要求される場面では、生理中または生理前後の様々な不快な症状や、集中困難がミスに繋がるという考えである。
この困難さは、私も数学をする上で強く感じている。
特に生理前は気持ちが不安定になり、強い落ち込み、焦燥感、絶望感で数学どころではなくなるし、かろうじて数学書を開いても集中できず、内容がまったく頭に入ってこない。
これが一日中、1週間以上続き、しかも症状を自力でコントロールできないのだから、その間それまでの思考は中断されてしまう。
どんな競技、学問であってもこの影響はあるのだろうが、特に将棋と数学の共通点を挙げるとすれば、隙のない論理的思考が要求されることだろう。
将棋では、相手の手を読むのに論理の飛躍は許されない。
数学も同じで、定義から定理を導くことに論理の飛躍があってはならない。
これらの思考をするには、長時間集中して頭をフルに使う必要がある。
生理というのは、この数学をするためにもっとも重要である論理的思考力を奪っていくのである。

こういった困難に直面しているとき、いつも女性であることを不利に感じて、女性であることが嫌になってしまう。
もちろん、男性には男性のつらさもあると思う。
今回は数学における"男女差"について取り上げたが、他にも様々な自力で対処できない課題を抱えながら数学をする困難さは存在する。
その課題にどう取り組んで、自分の興味を追究すべきか、いろいろなモデルを参考に考えていきたいと思う。
どんな人も、何かに可能性を潰されず、自由に数学や将棋、その他の学問や競技に取り組めるのが理想である。(難しいのは承知の上で)

(そして、何か良い対処法があれば教えて下さい)

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