時計じかけのオレンジ(1971) 人は変われるのか。
ひっそり開催している「これずっと観たかってん映画祭」の3作目はこちら。名作映画のカテゴリでは必ず名前が上がる作品だ。どれだけ胸を打つストーリーなのだろうと見始めたがそんなに甘くはなかった。とてもキューブリックだった。
好きな映画は?と聞かれて迷わずこれを挙げる人ってどれだけ刺激的でアーティスティックな毎日を送っているんだろうと考えてしまう。
<あらすじ>
<感想>
※以下ネタバレを含みます※
非行少年アレックスたちはスラングのような独特の言葉を多用して会話をする。ドルーグ(仲間)、インアウト(性行為)、シニー(映画)、トルチョック(殴る)など。後から調べたところ、これは「ナッドサット言葉」と言われ、言語学者でもあった著者がロシア語などを語源として作り上げた造語らしい。実際には存在しない言葉。要はハリポタの呪文のようなものだ(呪文は存在するけどマグルにとっては使えないから存在しないも同然という意味)
作中で説明が入ることはなく、字幕もそのまま「俺たちはその老人を何度もトルチョックした」みたいな感じで話が進むので最初の方はちんぷんかんぷんだ。今何て?と思っているうちにストーリーが進んでいってしまう。しかし繰り返し聞いているうちになんとなーく言葉の意味を理解し始めている自分がいて、子供が言語習得する過程ってこんな感じかなと思ったりした笑
前半はアレックスたちの残虐非道な行為のオンパレード。なかでもある夫婦の家に押し入った際に「雨に唄えば」の曲に合わせてリズミカルに男性を蹴り飛ばすシーンは、暴力行為をあたかも楽しい娯楽かのように描いている。自身の欲望や衝動のままに行動するアレックス。仲間にも高慢な態度を取り続けた彼は、やがて仲間に裏切られて逮捕されてしまう。
14年の懲役刑を課された彼は少しでも刑期を短縮しようと、政府が推進するルドヴィコ療法を受けることを申し出る。これは犯罪者の暴力性を矯正する治療のことで、これを受けた患者は暴力を振るったり女性を襲いそうになると強烈な吐き気を催すようになる。これによりアレックスはその残虐な性格はそのままに、殴ろうとしても殴れずセックスしたくてもできない体になる。牧師の「これでは道徳的選択ができず人間とは言えない」という言葉が印象的だ。
自分で良い行いを選択するからこそ”善行”なのであり、”できないからしない”というのは真に道徳的とは言えず、すなわちそれは人間らしさの喪失ということだ。その通りである。
半強制的に更生させられたアレックスは退院して日常生活に戻るが、かつて自分が蔑ろにした人間たちから仕打ちを受け、絶望した彼は窓から身を投げる。結局自殺未遂に終わったが、その衝撃で治療の効果はすっかりなくなり彼は元通りの人間になってしまう。政府は途端にくるっと掌を返し「君を自殺に追い込んだ反政府勢力に一緒に対抗していこう」的なことを言ってのける。そもそも政府のおかしな治療のせいなんだけどね。
最後は妄想の中で美女とセックスするシーンが流れ「完全に治ったね」というアレックスのセリフで物語は終了する。
性善説と性悪説、そして反社会的な思想を持った人々に対してどのように対応していくべきなのか、色々と考えさせられる映画だ。キューブリック監督の作品といえばシャイニングの知名度が高いが、今作でもその独特の感性が色濃く反映されている。
どことなくディストピア的な荒廃した世界観、ポップで毒々しい色使いなど、どのシーンを切り取っても視覚的に強く訴えてくるメッセージ性がある。こういうタイプの映画ってある意味一番映画らしいというか、活字とは違い音声と映像で魅せる”映画”という媒体を一番上手に使いこなしている気がする。
アマプラで見放題配信中だ。挑戦してみたい方はぜひこのシニーをドルーグと一緒にビディーしてみてください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。