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ホームスクール 東北の旅・8(番外編) 越谷阿波踊り 成田山 佐原 三四郎池

東北旅行の帰宅ついでに、妻の実家がある埼玉県を拠点にして、 埼玉・千葉・東京を旅してきた。実際と時間のずれがあるが、ひとまとめにして書こうと思う。


「日本三大阿波踊り」なるものがあるそうだ。阿波踊りといえば徳島だけだと思っていたが、東京の高円寺と埼玉の越谷でもやってるのだ。徳島の阿波踊りは1度見たことがあり、また見たいと常々思ってはいるのだが、祭りの時期がいつもお盆と重なり、旅の費用の高騰と混雑さで2度目の訪問には躊躇してしまっている。なので越谷の阿波踊りに行ってみた。

南越谷 阿波踊り

本場徳島の阿波踊りを初めて見た時は大変感動したのだが、なにやら最近は徳島市だの主催者団体だのゴタゴタや軋轢で評判が悪くなってきているので(演者の踊り自体の素晴らしさは変わらないと思いたいが)、案外、高円寺や越谷に阿波踊りの熱気のメインが移ってくる未来もあるかもしれない。

実際に越谷阿波踊りを見てみると、やはり本場の徳島からきた「連」と越谷の「連」では、踊りの格が違う。一目瞭然だった。それでも関東で阿波踊りを見れることは大変に素晴らしい。越谷阿波踊りを見たのは私達は3回目。また行こう。

千葉県の成田山新勝寺も一度は行ってみたかった場所だった。

成田山新勝寺

日本でも海外でも、私達は旅に出る時に、あらかじめ交通費や現地の物価を調べることはあっても、行く場所の写真は極力見ないようにして旅に出る。下手な先入観はいらないからだ。特に写真は奇麗に写りすぎる。写真で見るぐらいなら活字で紀行文でも読んでから行く方が私の趣味に合う。

現地に行ってからも写真はほとんど撮らない。さっき数えてみたら、海外で1日に撮る写真の数は平均して2枚だった。少ない方だと思う。日本国内だと5倍ぐらいに増える。

写真を撮るようになったのも、息子が産まれてからだ。カメラを持たない私達に義姉がプレゼントしてくれたのだ。私達は写真を必要としていなくても産まれてくる息子は見たがるだろうと。息子が産まれる前、私と妻が旅してきた21ヵ国の写真は、2ヵ国26枚しかない。これは撮ったことを後悔している。旅の記憶は、写真を撮らない日々の方が鮮明に残っているから。

成田山新勝寺は予備知識ゼロで訪問した。遠くの無料駐車場に車を停めて真夏の炎天下を歩いて20分でJR成田駅に着いて、そこからが参道だ。中途では新しく奇麗な土産物屋が立ち並び、ここも観光参道か、と期待値がさがったが、参道の最後の方には古びた鰻屋などが立ち現われ、とても風情があった。店のたたずまいだけで「店に入って鰻が食べたい」と思わせる程の風情だ。

山門をくぐり階段を登って境内に入る。どれも立派で歴史を感じる。建物の配置がどことなく身延山久遠寺に似ているなと感じたが、あちらは日蓮宗でこちらは真言宗。940年開山のこちらの方が古いし、関連はないだろう。ちなみに私は形式仏教徒で真言宗。寺とは墓参りしか関わらないが、海外に行く時、とりわけイスラム教圏では必ず「あなたの宗教は何か?」を聞かれるので、その時には仏教徒と答えるようにしている。「無宗教」と答えると大問題になる。

成田山新勝寺の前には、江戸時代の老中、田沼意次が干拓した印旛沼(帰りには手賀沼)を通る。もちろん、車内は江戸時代の改革の話になる。こういった歴史に関係する場所に行ったり通ったりするたびに歴史や地理の話になるので、息子の旅は毎回が社会科見学のようなものだ。

印旛沼を抜け成田山新勝寺の後、香取神宮に着いた。

香取神社 参道

思っていたよりも参道に店が立ち並んでいる。香取神宮の後は、すぐ近くの佐原の江戸時代の町並み。江戸時代の家屋が現存する貴重な場所だ。実際はどこまで建物に手直しをしているのかは知らないが、景観が非常に美しい。

佐原

一見、岡山県の倉敷に非常に似ている景色なのだが、倉敷は建物を新しくリメイクしたお洒落なカフェや土産物屋が多くて、とにかく奇麗すぎて、ただの観光地だ。こちら佐原は実際に住民が住んでいて、観光客相手の店はほどほど。私の好みは佐原だ。

川を挟んだ古い町並み、という景色として、兵庫の城崎温泉や山形の銀山温泉も似ているが、住民が実際に住んでいるという意味で、私は佐原が一番好きだ。

伊能忠敬の館が閉館していたので帰ろうとすると、ある老人が近づいて話しかけてきた。それから1時間半にわたり伊能忠敬の話が盛り上がったのだが、息子にはとてもいい経験になった。おじいちゃん、ありがとう。


千葉県への旅から埼玉県に戻って別の日、神奈川県へ帰る日に東京も見学していこう。


息子が大の夏目漱石好きなのはこのブログで毎度話していることなのだが、今回は東京大学本郷キャンパス内にある通称「三四郎池」を訪れた。漱石作「三四郎」に出てくるこの池。ここで三四郎は美禰子と出会う。息子はこの池を一周しながら、小説に出て来るシーンを色々と回想したようだ。

東京大学 三四郎池

画像の息子は、美禰子になりきってるらしい。

昼ご飯は東大の学食で安く食べるつもりだったのだが、現金が使えず食べれなかった。何やらスマホのアプリにチャージして支払いをするらしく、スマホを持っていない私達ではどうやっても食べれない。帰宅後に知ったのはクレジットカードでも食べれるらしい。

キャンパス外のインドカレー屋でカレーを食べた後、湯島天満宮を見学。その後は15年ぶりのアメヤ横丁。すっかり異国だね。外国人観光客が多いのはいいとして、お店がすっかり多国籍。ここにもいずれ中華街ができてしまうのか? このままでは日本国中が、「庇を貸して母屋を取られる」危機に陥るぞ。25年前にマレーシアを旅した時から、華僑だらけの東南アジアを見るたびに、私はそれをずっと危惧してきた。

アメ横の後は、上野公園を散策。

上野 不忍池

上野寛永寺の彰義隊の話を息子にすると話がまた戊辰戦争や会津若松城、二本松城の話になってしまう。だから今日のブログは「東北の旅・番外編」。


終わり

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