誰かのため「なら」頑張れる。『ライオンの隠れ家』10話感想
前回の9話は愛生のことをメインに書きたかったので泣く泣く言及せずにいたのだが、みっくんの防波堤のシーンよ!!!!
自分がパニックになったときに寄り添ってもらったように、お兄ちゃんが取り乱しているときには優しさを返す。そんなの、当たり前の話だった。
ASD的な傾向を持つ人は、だれかが感情的になっている場面では共感性の低さがマイナスに働くことが多い。それに身近な人間は寂しさを覚えることもあるときもあるけど、あの時の洸人にはむしろ必要なかったよね。
愛生とライオンを助けに行ったはずなのに、言い返すこともできなかった不甲斐なさ。玄関の向こうに押し入ることができなかった情けなさ。ほんのり感じてしまう、「そもそも何で俺がこんなこと」っていう罪悪感からのいらつき。兄としてのプライド。
そんなの、共感してもらえなくていい。まともに取り合ってもらったりしたら、恥ずかしくていたたまれなくて叫んで走り出しちゃう。
前回の私は、愛生がわからず屋すぎて呆気にとられたままエンディングを迎えてしまったので、最後にそんな微笑ましい兄弟の光景を見守れてちょっとほっとした。
そして、10話は初っ端からそんなみっくんのアートグループホームのくだりから始まったので、もう胸熱ですよ!!!!
お兄ちゃんにも、やりたいことがありました
みっくんは、もうすでにそれを分かっているので「(お兄ちゃんは)ライオンを助けに行きます」と助け船を出した。
自分は非戦闘員だから。たしかに、みっくんがいたらお兄ちゃんまじで戦えない!みっくんのこと巻き込みたくなさすぎて、ただでさえ少ない攻撃力またゼロになっちゃう!
アートグループホームへの宿泊に手放しでチャレンジするのは抵抗があるけど、ライオンとお兄ちゃんのためならその選択肢はむしろ合理的。
ADHD当事者としてちょっとだけみなさんにご周知願いたいのが、私たち「だれかのため」が理由であるほうがすんなり腹落ちすることもあるんです。
「忘れ物しない」は頑張っても頑張っても現実に及ばないけど、「誰かが忘れても良いように多めに持ってく」とかは案外はりきってできる。
「おしっこ〜!」が奇跡を呼んだ
今週の向井理も薄目で見なきゃいけないほどのホラー演技だったけど、唯一めちゃめちゃはちゃめちゃ父親らしい表情をした瞬間にお気づきだろうか。
そう、車の中でライオンがトイレに行きたいと訴えたシーンである。
「エッ!?」と聞き返した瞬間の、あの顔。あの顔だけは、妻に暴力をふるって監禁して、追い詰められて息子と心中しようとしていることなんか完全に忘れた表情だった。
「うわ〜マジかよ。山道入っちゃったし、外でさせるのってアリかな?こんなことなら、さっきのガソリンスタンドでトイレ借りとけばよかったな〜」みたいなお父さんの顔だった。
ずっとあの顔でいられたなら、一人にならなくて済んだのに。自分のことしか考えてないうちは、それに気づけない。一瞬だけでも息子のために思考を巡らせたら、あんな表情もできるのに。
薄々覚悟をしてたけど、やっぱり『ラスト・フレンズ』の最終回と同じ気持ちになってしまった。DV旦那はやっと捕まりました。チャンチャン!で社会の課題を終わらせてほしくない。
白が似合う人は
今更だけど、柚留木さんって『キングダム』映画の飛信隊の人だよね!?今回はめそめそしているシーンが多くて可愛かったです。
愛生が白の話をしはじめたとき、自分を見ているようで思わず笑ってしまった。
空気を読みすぎて気をまわしすぎて、頭の中をフル回転させてるうちにいちばんズレた話題をふってしまうのが長女という生き物。
それが結果的に、佐渡の別荘でみっくんからの信頼を回復したり、柚留木さんの気をゆるめることになる。それがわかってるからこそ、「お姉ちゃん」は人に話しかけてあげなければならないという業を背負ったモンスターと化す。
愛生が頑張ってボケたのは、柚留木さんへの恩返しのためなのだ。
あれ?洸人どこ行った?
1週分かけて考えたキメ台詞、「相手のため、そう言いながら結局は、自分のために相手を縛って」を用いてやっと向井理に言い返せたお兄ちゃん。
燃え尽き症候群で昼過ぎまで寝てみたりカップラーメンすすってみたりするけど、明らかに「自分のために生きる」が向いてない。息抜きで一回飲みに行ったくらいでタガが外れるなんて、本当に堕落向いてない。
なんか、このまま公務員辞めちゃいそうだよね。フラグは立ってるけどニートも似合わなすぎるので、もう一度大学に入って卒業し直すとか、作家目指してみるみたいな最終回になるのかな。
今回は、登場人物が全員、自分にできることをめいいっぱい頑張ったと思う。でも、「結局は自分のため」それでいいじゃん。
「誰かのために頑張れる=そんな自分になるために頑張る」がいちばん強いんじゃん。
みっくんが不安になっているのは、「いつも一緒のお兄ちゃん」のルーティンが乱されたことよりも、小野寺さんときょうだい児について話した内容か気がかりなんだろう。
お兄ちゃんも、自分のことがめんどくさくなって逃げ出したいのかもしれない。
愛生はDV旦那から自立して、みっくんはお兄ちゃんの献身から自立して、ようやく洸人はみっくんへの共依存から自立しつつある。
ライオンはまだまだ自立なんてしなくても良いけど、周りの大人を通してそんな姿勢を学んでいく。
自分に目を向けること、安定させることが、結局は大切な相手との最大のリレーションシップにつながるって気づいてくれるといいな。
これまでは社会の安寧のために機能していたあの家が、今度は個人の安全基地に変わることを願う。