(感想)さぁ、クルマで出かけよう/栗本慎一郎

<基礎情報>『さぁ、クルマで出かけよう ヒトの生命・身体を発見する旅へ』栗本慎一郎1(当時・明治大学教授)1989年6月30日 初版第1刷発行</基礎情報>

※ <注意!!>筆者より。当記事は上記の読書メモ・要約・感想である。学術的な意味はなく、感想文ですらない。突然の対話形式、著者と筆者とに区別をつけておりません。そういう文章あるいは言葉の羅列であることを承知くださいませ。</注意!!>

栗本=パンツと文明社会とを文化人類学的・メディア論的に分析する。生命論・身体論など

第一章「クルマは飛行機だ」

栗本 サン=テグジュペリSaint-Exupéry(かっこいい不良少年)からはじまる身体の拡張と速度への欲望を展開

画像1

flicker : Saint-Exupéry

精神分析学者の岸田秀 「人間だけが生まれ落ちたときに無知、無能、無力な存在なわけですね」→奇妙な欲望を持つ人間特有の不完全さの感覚

榎 輸送問題や女性にカッコよく見せること以上に重要なクルマの存在価値とは

栗本 「物の機能と物の持つ人間にとっての意味のずれ、大きなギャップ、それがあるからこそ、ヒトは意識をもったのだ。」栗本→物自体との距離感が人間に意識をもたらす=記号が生まれる

榎 マクルーハンには触れず、ボードリャールについての言及開始p24

榎 ボードリャールの記号論についての議論はクルマにおいては既知のものであり、議論は不十分であると栗本は指摘する。またボードリャールをマルクス以上の価値があるとした吉本隆明に疑問を呈し、マルクスはボードリャールの論以前に崩壊していると栗本は指摘する。『象徴交換と死』を念頭に。

栗本 輸送という本質的価値を超える象徴性を指摘するボードリャールに対して、「輸送」もまた記号である

榎 プロのテストドライバーにして人類学者という佐藤潔人さん『自動車=快楽の装置』読みたい

榎 栗本のおフランスの田舎指摘やドライバー後進国のくだりには僕は興味がない。だが、ここで重要なのはクルマやドライブに対して記号を越えた「快楽」としての価値を栗本は見出しているという点。押さえること。

続く




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