普通の幸せがいちばんドラマチック
先日姉と電話したとき、彼と同棲しようと思ってるんだよね、と言われた
その時、なんだかこうやって姉は普通の幸せな人生を生きていくんだろうな、と思った。
わたしは自分の普通なところが嫌いだった。
普通に生きて行きたくなかった。
自分が特別な存在だと信じたかった。
大多数がやるようなことをやらずに、誰もやってないことをやりたかった。
でもいつの間にか、みんながきちんとやっていることを出来ないまま、自分なりの道でも結果を残せなくて、普通どころかダメダメに思えてきてしまっている。
普通とはなんだろう。
普通って、
もしかしたら無いのかもしれない、
というのが最近変わったわたしの考え方。
姉がもし結婚して子供を産むなら
私は、そんな姉を誇らしく思うだろうと思ったからだ。
それは一見して、
今まで私が普通と認定してきたものかもしれない
でもそこに行き着くまでには
姉なりの苦悩や覚悟を持った決断、そして最愛の人との出会い、そんなドラマチックな背景がある
私はそれを少し知っているから、
今までの普通の枠に入れなかった。
でもそれは他の誰にだって言える。
わたしは見えてないものを無いとみなしてしまっていたのかもしれない。
自分の見えているものが全てではない。
わかっていたはずだったけど
どうしても視野が狭くなってしまう
これからは自分の人生も
自分がドラマチックに思える普通でいい
普通の地味な面白くない部分も大切にして
その普通をどれだけ人にドラマチックに話せるか
そんなところを大事にしていきたいな
自分だけのドラマチックな幸せをかなえられますように