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飽き性な自分が嫌いだった。

私はすごく飽き性だ。

よく言う、”熱しやすく冷めやすい”という典型的なパターン

スキ!とかイイ!と思うとすぐにのめりこんでやり始めるけど、やり始めたその日はすごく楽しいのに、いつの間にか三日坊主で何にも続かない。

好奇心旺盛だけれど自分の中の譲れないものとか、ルーティンとか、これだけは大切にしているルールみたいなものが作れない飽き性な自分が嫌だった。


でも最近『飽きるも暮らし』という言葉を聞いて考え方が少し変わった。

この言葉は先日、大好きな「北欧、暮らしの道具店」というYoutubeチャンネルの【うんともすんとも日和】という特集で、ライター・編集者の一田憲子さんが使っていた言葉だ。

この特集は”暮らし”を大事にしている人に、今の”暮らし”に行きつくまでにはどんな心境の変化があって、経験があって、今があるのか、というそれぞれの【うんともすんとも】に耳を傾けつつ、その丁寧な”暮らし”の部分を紹介してくれる動画で、扱われている方たちはみんな個性豊かで、でも、自分をしっかり持って自分を大切にして生きている感じが共通していて、すごく好きだ。


この動画の中で、一田さんはこう語っていた。

飽き性であることを悩んだ時期があって、
何かやり始めてもすぐに飽きちゃうし。
でも知り合いの編集の方の言葉がきっかけで、
「飽き性でもいいんだ」と気づけた。
治らないものを治そうとしても苦しくなっちゃうので、「次々新しいものに目移りするんだったら、それが私」っていう風に諦めて、
「こんなにいいものを見つけました!次は、こんないいものを見つけました!」という風に「ワクワクすることを届ければいいんじゃないか」って思えるようになりました。


私はなんだかピンと張りつめていた糸が切れたような感覚に陥った。

いつの間にか自分の理想を語ったり願ったりするうちに”こうでなくてはならない”というように、自分の理想をがんじがらめにしてしまっていたのかもしれない。

そうだ。

飽き性でもいい。

飽き性だからこそ、いろんなものに巡り合えて、いろんなことを知ることができて、その都度ワクワクしたものに全力になれる。


なんだかすごく大事なことに気づかされた気がして、これからも忘れないでおきたい、大事にしたい、と思って、このnoteに書こうと思った。


このnoteだってそう。

毎日心が動くものに巡り合わなければ、本当に自分が話したいこと、伝えたいことは出てこない。

でも私は、飽き性で好奇心旺盛だからこそ、毎日何かに巡り合うことができて、「これってすごいイイよね!」とか、「こういうことがあってこんな風に感じたんだけどどう思う?」とか、いろんな、私の”暮らし”の中でしか、発見できないものについて書くことができる。


それってすごく魅力的だ。


昨日よりひとつ、また自分を好きになれた気がする。

自分の嫌いなところだって、考え方を変えて、活かし方を変えれば、好きになれることもある。


こうやって、ほんとうのじぶん、と逃げずに向き合って、自分なりの【うんともすんとも】を溜めていくことで、
今回の私のように、誰かを少し楽にさせてあげることができるのかもしれない。





すごく素敵なので【うんともすんとも日和】見てください♡

一田さんの回→https://youtu.be/6K48NN4020Q



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