コロナ禍の、美醜とご縁とタイミング。
優しさと愛だけではなかなか成立しないのが、男同士の恋愛。
優しさに惹かれてスタートする恋もあるかもしれないが、まずは、その人の顔と目と体を見て、がまず第一突破口。
男女のように結婚して子供を育てるという作業もなく、恋人として同棲までして一緒にいる必然性とは何か。
内面だけで恋愛が成立してしまう人は、もともと性欲が少ないか、見た目に自信がなく恋愛に奥手か、一人がとにかく嫌な寂しがり屋さんだったり。
昨今、スマホを使った様々な出会いのツールであふれている。
コロナ禍の最中、バーや出会いの可能性のあるイベントに行くことは当面難しい現状。
家にいてスマホいじってタイプな人を探せるわけだから、出会いなんていくらでもあるでしょ。と思われがちだが、実際はなかなかそうはいかない。
アプリできになる人とメッセージのやりとりし、お茶する約束までたどり着いたとする。見た目はだいたい画像と同じだとしても、違和感感じて話してるだけでぐったりしてしまい、すぐ帰りたくなる場合もある。
でも、会って10分で「そろそろ帰りますか」というわけにもいかず、2時間ぐらいどうでもいい話題で、さらに疲労感が増し。
違和感感じてる時点で、その人とそれ以上の関係にはならないのは確定してるわけで。
初対面の相手と逃げ場のない状況での2時間のお茶。
また自分がすでに限界感じてても、自分から「そろそろ行きますか」と退散を促すのが苦手で、相手が切り出すまで延々と待ってしまう。地獄の2時間。
そんないきなりアプリでカフェで2人であって、しんどい時間をすごすくらいなら、バーなどに出かけ、一期一会の会話を隣の人としたり、知り合い増やしながら「ご縁とタイミング」を信じてただひたすら日常を淡々と過ごす方がマシ。
たまに「じゃあ、セフレがいれば十分じゃないの?」という人もいる。
セフレに感情移入しない自信がある人ならいいけど、そうでなければ肉体関係があるがゆえに相手を常に求めてしまうけど「これは恋ではない。でも好きになってしまった。」と正当化しようとしても、どうにもならない。
ひと昔前に巷で、西野カナの歌詞に「会いたい」が出てくる頻度が話題になっていた。その中の代表曲「会いたくて会いたくて」の歌詞で会いた過ぎて震える歌詞。
これ、よくある恋愛ソングではなく、セフレに恋い焦がれる歌詞として共感されている模様。
「彼はただのセフレ。わかってる。そんな彼に心も体も求めてしまうけど、成就しないから苦しい。今夜も彼を求めてしまう。会いた過ぎて脳が萎縮する。」
という状況だとすごく沁みる、そんな歌詞らしい。
その後、西野カナが大人になったからか意図的かはさておき、曲から「会いたい」が排除され。結婚とともに活動休止。幸せとは。
「真実の愛 (*)」にたどり着くのは、あてのない旅。そう、ご縁とタイミング。
ご縁とタイミングにどうすればたどり着くのかを、周りの意見を総括すると
「独り身でさみしかろうが、常に毎日楽しんでいて幸せオーラを出している」
のが大前提のよう。
幸せオーラとは何か?を考えながら、日曜の午後どんよりと「ザ・ノンフィクション」を見ながらうたた寝し、気がつけば日曜の夕方、な生活をし、気がつけば日々がすぎていく。
追記 (*):
ジェフ・ニコルズっていう松田聖子の元愛人が書いた、聖子とのはかない恋愛暴露本「真実の愛」をふと読み返したくなった。
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