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たましい、輪廻転生について説明します(後編/結論)

たましい、輪廻転生について、記します。
今回は、こちらの前編記事に続いて「後編」です。

「前編」では一般論などを説明しました。
「後編」では知るところの真意を説明します。
後編から読んでも、概ね読めるようにはなっています。
それでは、どうぞ。


(前編からの続き)

そこで、一般論を説明したところで、
「霊、輪廻転生」について後編では、
新たな現代において説明しなおすことを試みる。

3.霊について(実のところの真意)

霊的でも物的でもない中のような状態からはじまる

まず、この世界は霊的でも物的でもない中のような状態からはじまる。
…という言いぶりからして、そもそも前提として「霊的なものが陽」「物的なものが陰」としてあるということになる。

3-1.「霊的なものが陽」「物的なものが陰」としてある

想定的なもの(陽陰)で仕組まれたしくみが遍満している

この世界には、相対的なもので仕組まれたしくみがそこかしこに遍満している。男女などまさにその典型例として、太陽と地球、親と子、陽子と電子などもそうである。
片方が与えるもの、片方が受け取るもののような、相反するものとして対称的に存在し、この相対的な二つのもの=二元的なもので成立していることが遍満しているのである。(このPCやタブレットも、『0.1』の二進数の組み合わせによって機能している。)

これを一般には「陽陰」といったりするが、そのようなものが確かに根底的にあるように思われる。
そして、この陽陰的なものをさらに深く観察すると、そのどちらでもない状態から生まれ出てきていることが多いということがさらに見て取られる。

例えば、男女は無性生殖から生まれる、親子は一つの個体から親子に分裂する。星間ガスが太陽と地球となる。中性子が陽子と電子に崩壊する。このような、通底するしくみを見て取ることが出来る。
またこの物質世界も、実は物質と反物質なるものがあり、そのどちらでもない状態から物質と反物質が生まれて、そこから誕生したことが判明している。
そこで、この陽陰のさらに根源にある「どちらでもない状態」のことを、陽陰に対してその中間にあるという意味合いから「中」と名付けることにすると、「中と陽陰」ということが本質的にありそうなしくみとして浮かび上がってくるのではないかと思うのである。

霊的なもの、物的なものということは「陽陰」

そこで、霊的なもの、物的なものということも実は「陽陰」だということである。霊的なものが、物的なものに入り込んで、この世界が機能しているとすでに説明した。また暗闇と光明といった、相反するもののイメージとしてもあるであろう。

霊的なものは分りやすくは心・思考のようなものであり、物的なものはいわゆる肉体のようなものである。これらは相互に関係して機能しているが、片方では前者が先行しているとも言える。
「何かをしようと考えて」、「何かをする」ということが基本形である。頭があって、身体がある。脳が無くなれば、身体が機能しないことはこのことの物的反映である。設計図が考えの中にあって、建物が実現する。
このように、「考えなどの内的なもの」が基本的には先行し、「実行などの外的なもの」が後行する。これはあくまで基本形として、実際にはこの相互結合によってものごとが成立する。

これが、霊的なものと、物的なもの、或いは霊的世界と物的世界の関係である。そこで、この先行するものが陽として、後行するものが陰として、
この「陽陰二界によって、世界が成立している」のである。

「中と陽陰」のまとめ
そこで、さらに根源的にはそのどちらでもない状態(中)がまずはじめにあって、そこから陽の世界と、陰の世界が生まれてきたものということである。

さらに言えば、一個体から親子になるといえども親から子が生まれる、中性子が陽子と電子になるといえども陽子が中性子の位置に残る、といったように、霊的なものが主体であって、そこから物的なものが生まれてくるというのが真相である。(これ以上の詳細は、やがて理論で説明することにして割愛する。)

このようにして、「霊的な世界」と「物的な世界」に展開してこの世界が成立する。そこで、設計図が先にあって、建物が建てられるように、霊性界から先に作られて、物質界が後から成立する。

3-2.創造主(中心の親霊)がある

霊性界にも中心・親がある、そして別れ出て霊が生まれる

またさらに、物質界で「太陽が先にあって、地球が成立する」ように、霊性界にもその中心体のような中心霊が生まれて、そこから小さい各霊が生まれてくる。親があって、そこから子が生まれてくるようなものである。これが、まさに人類に「神、創造主」として想起されるなにかである。

3-3.それぞれの霊=創造主から別れ出て生まれたもの

わたしたちのイメージするそれぞれの霊というものは=この「神、創造主から別れ出て生まれたもの」だということである。

それはちょうど、
・親から子が生まれるときに微小な細胞から生まれるように、
・しかし中には完全なる遺伝情報が完備されるように、

完備された霊的情報を根源に有しながら、
微小なる霊として生まれることになる。
これが、霊の正体であり、
またそのはじまりである。

3-4.霊性界が先に形成、物質界が従って後に形成

霊性界が先に形成、物質界が従って後に形成(科学で判明すること)

そこで、この霊界が先に設計図のように生成される有り様を説明したものが、多くの神話で先行して示されるものである。日本神話の「天之御中主~イザナギイザナミ」までもこれであるし、聖書の七日間の創世記などもまさにこのことである。

現在、科学で判明している宇宙のはじまりや歴史は、この設計図に基づいて実際に建設されていった実現世界の方面のことであり、科学により判明する宇宙史とこうした神話の創造に関する記述は全く矛盾しないということが本当のことである。
そして、こうした設計があって、建設の実現があるように、物的世界がまさに展開するのである。それが我々が科学で知るところのインフレーションや進化論、人類史などである。

3-5.陽陰は結合されながら機能していく=われわれの実際

霊性界と物質界は相互に作用、結合しながら成立している。

そして、陽陰のものは結合されながら機能していく。男女が交わり生活があり、親子が交わり生活があり、太陽と地球が交わり生活があり、父性の遺伝子と母性の遺伝子が二重螺旋を巻いて命があるように。霊性界と物質界は相互に作用、結合しながら成立している。

そこで、①霊は、その入れ物としての肉体が物質界に生まれたとき、これに結合してくることになる。②霊性界の意思が、物質界に反映されて物質界が展開しているということである。
そうして生きているのが、われわれの実際である。

3-6.創造主=親、われわれ=子、子が育つ=宗教・科学

そこで、創造主の親のようなものが存在し、
「この世界はその創設されるところの家庭」であり、
「霊は育ちゆく子としてあるもの」であるということである。

生命が生まれてきて、動物として進化する間は胎児のようなものであり、
人間に至ったということは外に出たということであり、そこで色んなことを知り、また親の存在をも知ったものである。

そして、親は子育てをするものであり、子は育っていくものである。
子が育つのには二つの方面がある、①親から教わることと、②自ら学ぶことである。
・この親から教わるように知られることが「神智・宗教」であり、
・自ら学んで知ることが「人智・科学」である。
そこで「宗教」はその本質は子育てであり、定期的に教えられるものである。子が自立せぬうちほど語りかけられるものであるから昔に教わったのである。

そして、子育ての教えであるから、人や時に応じて異なる言葉を示されたりするものである。昔のように一夫多妻でいくつも家庭が分かれていたら、家庭によっても異なったりするであろう。
これが、「宗教」がいくつもあることの理由であり、「神のすがた」がいくつもあることの真相である。また、時代によって進歩する部分もあるということである。
これが「宗教なるものの正体」である。

3-7.輪廻転生によって成長していく

霊は育ちゆく=①死後永遠又は②輪廻転生による

そこで、霊は育ちゆくものである。
ここに「輪廻転生する」と教えるものと、「永遠に存在する」と説明するものがあるが、これも説明の仕方の相違であって、深くはこれが両方とも真実である。
「永遠に存在もするし、輪廻転生もする」ということが真相であり、これはあたかも「地球から見れば天が回転もするが、じつは地球が回転する」ようなものであり、深い真相は、この両面が真実であるようなものである。
重要な片方をいえば「輪廻転生する」ということが実際である。

キリスト教などでは「永遠に存在する」と説示され、輪廻転生はしないかのように言われているが、①開示の仕方の相違と言ってもよいし、②より実際には輪廻転生が普通に言われていたが後に解釈される際に消されていった或いはその解釈が否定されていっただけといったことが真相である。
多くの原始的な宗教では、古代人の研ぎ澄まされた感性で知るところ、霊があり、またそれは輪廻転生すると知られたものであり、今なお原始的な宗教ではそのように説明されているケースが多い。

霊は輪廻転生により成長していく、各回の霊は永遠に存在

そこで霊は輪廻転生するものであり、それにより成長するものである。
ちょうど子供が家庭から、「子供の教育機関として作られた学校」に送られて、子供社会である学校にも通いながら、家庭にも帰りながら、繰り返して成長するように。
あの世からこの世に生まれ学んではあの世に帰り、を繰り返して成長していく。これが輪廻転生というものである。
※これについては、また近日中に、別に詳しく執筆する。
 以下の投稿にも、概略は説明しています。


3-8.因縁(善因楽果・悪因苦果)が原理としてある

「善いことをすれば楽の結果、悪いことをすれば苦の結果」基本原理

そこで、さらに因縁というものがある。
これも概ね多くの宗教=子育てで説示されているものであるが、「善いことをすれば良い結果、悪いことをすれば悪い結果」といった法則がある。

善いことということの本当の意味は、「原理に沿ったこと」という意味である。スポーツでも理に叶った練習は、良い結果をもたらし、その反対はその反対の結果に至る。
これは創造主が決めるものでもなく、「理として世界に備わったもの」であり、この原理原則が厳密に存在する。なぜ、この投球動作が良いかといえば、それが身体の形に沿ってもっとも適切であるからというだけのことである。善悪というものの正体は、実はこのようにあるものである。健康と不健康なども同じことである、あらかじめ理があり、これに沿えば健康となり、外れれば不健康となる。これが善悪の本質である。

成長するとは、
・大きくなっていくということでもあり、
・それと同時にこの理に沿っていくようになることを言う。

「善因楽果、悪因苦果」は基本原則であり、実際はこの複雑状態
そこで、基本的にここに「善因楽果、悪因苦果」といった原理がある=これを短くは「因縁」といったりする。この因縁は、その原則こそ2進数の如くシンプルなものであるが、2進数が複雑に機能してPCが機能して在るように、「実際にはかなり複雑に絡み合って現実として」ある。

練習もよい練習をしていれば、スムーズに成長するばかりではなく、そこには実に複雑に膨大な要素が絡んであり、微細な良い要素と悪い要素があって複雑に展開しながら、成長していったり、努力していてもケガもしたりするように、「実際には因縁というものは非常に複雑に展開しているもの」である。

これが人生を形作っているものであり、また長い輪廻転生=霊の成長する旅路はこのように在るものなのである。そこで、スポーツにおける理をよく理解し、ただ理に沿っていくときに上手なプレイヤーになるように、「この因縁(善因楽果・悪因苦果)を理解し、これに沿って在っていくことで、素晴らしい霊となっていく=霊として一人前になっていく」ということになる。

これが霊のよい行く末であり、天国に行くとか、浄土に行くなどと比喩されることの実際である。
→この因縁についても、近日中に別により詳しく執筆する。

3-9.霊性界に階層あり(=天国煉獄地獄、六道など)

真実には、霊性界というただ一つのものがある。
”天国、煉獄、地獄”のようなものが完全に別世界として在るわけでもなく、またキリスト教のいう天国や仏教のいう浄土などが別に在るわけでもない。実はこれらは一つの霊性界を、その方便ごとに説明したものであるということが、実の真意である。

各教えの説明はすべて方便、実は霊性界が心の階層としてあることを云う

実際にはただ一つ、霊性界があるだけであって、そこにおいて
・物質界では物的距離が距離となって、土地が分かれているように、
・霊性界では霊的距離が距離となって、霊同士の位置がわかれている。

そして、
・成長するほど上の階層へ落ち着いていくことになる。
・悪化すると、低い階層に存在していくことになる。

・物質界では物的豊かさがその行動の自由となるように、
・霊性界では霊的豊かさがその行動の自由となるものとなっている。
これが喩えられたのが地獄の苦しみであったり、天国の快適さである。
低い霊的階層にいると、多くの自由が自ずから制約される状態になっている。高い霊的階層にいるほど、その自由度が上がっている状態になっている。これは誰かが定めたようなものではなく、原理としてそうなっているものである。
地獄の鬼などは実際にはおらず、あれはその喩え話である。

このように霊性界には、霊的豊かさによって勝手に階層がある。
そこに一定のラインがあり、それが”天国煉獄地獄”、”六道”などで説明されたものである。
そして創造主は、天界と呼ばれるような階層にいるということである。

霊の成長の終結=天界に安定すること、さらに自分が親となること
子は成長して親になっていくように、霊は成長して天界などに至れば終局である。
(大乗仏教では、仏という状態が創造主の奥の真実のすがたであることを明かし、神はその表の化身であるという。子供が大人になったあとは、やがて自ら親となるように、単に”天界=成人界”にあるだけではなく、自ら親となって、自らの世界を建設すると説かれる。物的宇宙でも、恒星は無数に存在し、次なる恒星が誕生してくることにも同じしくみが反映されている。)

そこで、輪廻転生を繰り返し、霊的階層を成長していくものである。
因縁という原理原則がスポーツに原理があるように世界に備わっていて、
それに従って(=善を成して悪を止めて)成長していくものである。
一定ライン以上が、天界と呼ばれるような階層であり、一定ライン未満が地獄と呼ばれるような階層である。
仏教はこの階層をさらに細かくわけて説明するが、子供の階層を、幼児・青年・成人などとするか、幼稚園・小学校・中学校・高校・大学・成人とするようなことと相違ない。

4.霊について(まとめ)

これが、霊というものの凡その説明である。

霊についてのまとめ(中、霊界と物界、創造主、子である霊など)

・中なる状態から、霊性界と物質界が展開し、
・霊性界には中心霊のようなもの=いわゆる(我々にとって一つの)創造主があって、
・そこから別れ出て、それぞれの霊がある(日本では「分け御霊(わけみたま)」と呼ばれる)。
・霊性界と物質界は陽陰の関係にあって、結合し相互作用しながら成立している。
・霊は、肉体に結合していく。霊的に存在するのみではなく、実際に展開して学びを深めていく。このように輪廻転生を繰り返し、霊は成長していくものである。
・そこで創造主=親は、この子を育てるように機能している(太陽と地球のように)。子育てとして、人類に至ってしばらくして教えるようになった、これが宗教である。
→宗教は子育てのものであるので、最も正確な真実を根底としながら、人や時に応じて変形しながら説示される。そのように宗教がいくつかあって、或いは神の姿がいくつかあるものである。
→また子は人智科学をも発展させ、宗教で教わり、科学で学んで育っていく。この過渡期が現代である。

このように霊があり、物質界があり、結合してある状態、
霊が学校の席(肉体)に座りに来ている状態がわたしたちの状態である。
時間が来れば、席をたって家(霊性界)に帰り、これを繰り返して育ちゆく。

多くの宗教ではこれを、それぞれの説明の仕方を与えられている。
その本質は一つであって、子供が成長して大人の方便を抜きに真意を一つとして理解するように、育ちゆくときそれを知るものである。(物質界が成長していくとき、そのことはやがて多くの子供たちが知ることになる。)
仏教での説明も、キリスト教での説明も、「真意を奥底に置きつつ、仮の説示も含まれる」ようなものなのだ。

またそれらは、さらには順次開示され直す。
初めは親の言葉が絶対としてありながら、やがて子が成長するとき心中にてその真意を知っていくように、場合によっては経典自体が更新されるばかりではなく、子の理解の方が更新されて知られることもある。
そのようにして、真意がより知られていく。

ここに、その一端を示した。(完)

おわりに

今回は、霊というものについて一部分を説明しました。

この時代はまさに成長の過渡期であり、
ちょうど子供が急成長するときにイヤイヤ期を起こしたり、反抗期を起こすようなもので、「科学=物質的側面が急成長」したことで、「反抗期」を起こしているものと確信します。
反抗期はやがて、成長して大人に追い付くことで再び親を知って終わるように、「人類はやがて科学が追い付くことで、再び認識する」ものと確信しています。そこであらかじめ、知ることを記しました。

この霊というものが、人生の根源に本当はあるのですね。
霊が本当にあるとすれば、「命の根源であり、人生の根源ということ」になると冒頭に記しましたが、まさにそうだということです。霊がこのようにあるということは、「命の根本にあり、人生の根本として機能している」ことなのです。であれば、知っておいた方が基本的には良いことです。また、あらゆる議論において根本に登場することになるのです。

皆さんが仮に反抗期にあって死んで無くなると思い込んでいたとしても、死んだとして決して消滅することはありません。「業」「識」の総体といっても「たましい」といっても何でもよいですが、死後も引き続いていき、輪廻転生していくということが奥深くの真相です。

科学的にもそのうちには判明してくることでしょう。
反抗期も終わって見れば何だったのだろうかと思ったりするように(家庭が健全である前提)、やがて反抗期が終わってみたときには、昔から長く人類が認知してきたように、「霊性界が裏にあって、物質界が表にあるだけだ」ということが分る日が来ることと宣言します。

その過渡期にあって、ちょうど「反抗期の心の中に、やはり親は大切なのではないだろうかという心もあったりする」ように、全人類においてわたしのような非反抗的な者も一部として、理として存在するのです。
それが、やがて大きくなっていって、再び反抗期が終わるときが来るのです。

そこで「反抗期の中にも在る、実は親は大切なのではないだろうかという部分的要素」として在る私が、ここに記しました。(笑)
多くの細胞の皆さんに、少しずつ落ち着いていってもらえたらと、陰ながら願いつづけています。

予告:輪廻転生と因縁のしくみ

今回は霊について、大きく記しました。
今後の執筆の基盤となるものでもあります。

輪廻転生、因縁ということも基本的なことは記しましたが、
全てを記したわけではありませんので、更に詳しく別に記していきます。
(今回は、その1ということで)


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圓寂が、社会の精神性に寄与することを願って、さまざま深い思慮を発信し、活動することを楽しみにしながら…

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