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先祖は、いる。(不思議話)
今回は、「先祖はいる」ということを記します。
また、先祖とは/先祖供養とはなども別に執筆しますが、
今回は短編として、経験した「不思議な話」を掲載します。
不思議話シリーズでもあります。
1.曾祖父の話
27歳のとき。
私は、亡くなって年数が浅い先祖さんの命日には、なるべく律儀に実家に帰省して、しっかりと供養のお勤めをすることに決めている。
その一人が曾祖父である。
曾祖父は、私が生まれるより随分前に亡くなっているので、
実際には会ったことはなく、仏壇の上にかけられた遺影と、ときどき聞く昔話でしか知らない。
そんな曾祖父の命日に帰省して、
不思議な経験をするようになって初めて、心から深く意識してお勤めをすることにし、仏壇の前に至った。
母が、お供え物を買いにコンビニに行こうというのでついていくことにした。
餡の入ったお菓子
![](https://assets.st-note.com/img/1733150477-Z8PfEcIhQCeRrqy1V4iFAHKO.jpg)
コンビニに到着して、色々とお菓子を見る。
母が、冷蔵コーナーの西洋菓子を指して「これにしよう」と言ったときであった。
曾祖父の顔が浮かび、声なき声でもって「餡の入ったお菓子にしてほしい」と伝えてくる。
母に「なんかしらん、餡のお菓子にしてほしいって言うてはる気がする。」といって餡のまんじゅうか何かを手に取ると、母が「それやったらそれにしよ」というのでそれを購入して仏壇へ帰った。
餡のお菓子を供え、丁寧に読経念仏等を修して、功徳を回向する。
後述するが気持ちよく終わって、振り向いたときだった。後ろの別室で聞いていた祖父がやって来て、「餡パン供えたか、餡が好きやったんやで」とわざわざ言いに来てくれた。
母と目を見合わせて笑う。
「餡のお菓子がいいって言わはるから、餡のお菓子供えておいたよ」というと、祖父は笑って「そうか」といって帰っていった。
曾祖父とは会ったこともないが、祖父を通してわざわざ有難うと伝えてくれたような感じもした。
餡の好きな世代が多そうということもなくはないが、別にわざわざ別の菓子を取りやめてまで選択することではない。コンビニであのようにはっきり感じたのは、よほどの主張だったのではないかと感じる。
また、後にも述べるが曾祖父とはお勤め中も、声が聞こえるような心地であって、プレゼントではないが何かそういう働きもあって、そのようなことを勉強のために経験させていただいた心地がした。
そういうことがあった。
亡者に回向される
そこで、面白いことは、そのお勤め中であった。
丁重に読経をしはじめたとき、
・普通は亡者と向き合って、仏を想見して、自分が変圧器のような立場を意識して、亡者を仏などの高い世界へ仮にお繋ぎして、そこで仏の功徳ある威光を浴びてもらったり、或いは経典の内容をこころで教えていくのであるが、
・曾祖父がぱっと出てくると実に深い微笑で、あたかも菩薩界にいるような雰囲気で、「ええよ、そんなしてくれんで。むしろおじいちゃんが、有君(俗名のあだ名)の功徳を念じてあげよう」などと言われる心地があったのである。
色んな家庭で、色んな祖霊に供養をしてきたが、
そのような経験は初めてのことであって、こんなこともあるのか、それとも勘違いか、と思って、とてもよい心地で読経させていただいたのである。
普通はこちらのエネルギーを消費するのであるが、むしろ元気になってお勤めを終えるという初めての体験であった。そこに祖父がやって来て、そのようなことがあったので、やはり先程の読経中のことは本当であったのだろうかと微笑ましく思えたのであった。
たしかに曾祖父は、聞くところの昔話が本当に真面目で非常なる働き者で、また実に優しい人であったそうであるから、そのような感得も真実であったのだろうかと今では思われるところである。
2.明美ちゃん
その翌年ぐらいであっただろうか。
今度は「明美ちゃん」という先祖の話である。
明美ちゃんというのは、祖父の妹であり、
戦時中に幼いまま亡くなってしまった子である。
当然、私は出会ったこともないし、遺影もないので見たこともない。
祖父はよほど明美ちゃんのことを大切に思っていて、昔から定期的に明美ちゃんと大阪空襲の焼野原の中を、明美ちゃんの病気の治療のためにおんぶして歩いた話を聞かしてもらっていた。
そのように祖父がよほど明美ちゃんのことを大切に思っていることは分かっていたこともさらに加味されながら、命日に帰省して、深く意識するようになって初めてゆっくりと追善供養の勤行を修した。
一つずつ意味を伝えていきながら、
仏をお見せするように想見して、功徳の光を浴びてもらって、
「苦しみが全て取り除かれますように、祖父の思いが十分に伝わりますように、来世はよりよい生まれをされますように」と丁寧に回向して、
その勤行を終えた。
祖父は大変喜んでくれて、明美ちゃんはその姿を見て同様に大変喜んでいるような心地がして、微笑ましい思いであった。
帰り道
![](https://assets.st-note.com/img/1733150861-Lwb7iOC5Nt6FHUhDMW8aeyZT.jpg?width=1200)
帰り道、実家からすぐのところ。
向こうから、親子三人が歩いてくる。若い父母と、3歳頃の娘さんである。
何の気なしに足を進めていると、
その娘さんが「あけみちゃんってだあれ~!」と大きな声で言っているのが聞こえてくる。
正直、耳を疑う。
聞き間違いだろうか、幻聴でも聞いているのだろうかと思うと、
やはり娘さんが3度ほど「あけみちゃんってだあれ~!」と繰り返している。どうやら、家の壁を指さしてかがみこんで言っている。
耳をそばだてていると、どうやら壁にシールが貼ってあるらしい。
「シールにあけみって書いてるよー」と言っているのが聞こえる。
「あけみ」などという名前、この時代ではあまり聞かないような名前だろうと思い、珍しいこともあるものだと思いながら、横を通りすぎようとした。
「あけみちゃんって、誰だろうねー」と両親がその娘さんに答えてあげたとき、明美ちゃんの顔が出てきて、ものすごくニッコリ笑っているのがうっすら見えた。
今日のお勤めが大変嬉しかったらしい。
それは間違っても、わたしのお勤めが嬉しかったわけではない。
祖父の思いが相当に嬉しかったようである。
とても微笑ましい心地にならせていただいた。
それと同時に、
今隣でちょうど明美ちゃんと同じ年頃の娘さんが、「あけみちゃんってだあれ」と言っていることが、不思議でならなかった。
そのシールをわざわざ、その三人がいるのに見に行くことまではしなかったが、そんなことがあるであろうか。
また、それと同じタイミングで、そのような日に歩いていることもやはり偶然では片付けがたいと思うのである。
これもおそらく、わたしの表現するところの「コード」のようなものであろうと思う。全ては神業で仕組まれて、世界は演劇のようにあるのだと思う。
これは、神の心ある遊びである。
大変、微笑ましい経験であった。
(完)
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