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名は体を表したい

みなさん、
"自分の名前"はお好きですか?

わたしは、
大大大大だーーー(エンドレス)ーーーい好き!

ですッ🪞

って、
今日は、
そんなおはなし。

ーーー

わたしには、
"座右の銘"が3つあって。

そのうちのひとつが、
本日のタイトルにもってきた
「名は体を表したい」 。

座右の銘、っていっても、
セルフねじねじしてますが… 笑

先日、
こんなnoteを書きました。

「なんらかのクリエイティブなひと」
になりたくて走りつづけてきた、
わたしへのはなむけ、のような。

そのなかで、
こんなことを言いました。

クリエイティブはあきらめた
そんなことどーん!と言っちゃって、
これからどうするのって。
ちょっとひよってるわたしもいます。
🐣

「これからどうするの〜!」
って書いて、すぐのち。

いちばんに浮かんだことは、

"名は体を表したいな、"
やっぱりな、

ということでした。

ーーー

わたしの名前は、
あんまりないけどめずらしくはない。

ってかんじ。

今まで会ったことはないけど、
「知り合いの知り合い」ならいるかも、

ってかんじ。

元々は、
あんまりこの名前が好きじゃなくて。

苗字とちぐはぐだし、
字のバランスが気に食わないし、
なんかヘニョっポテっとしてるし、

ずいぶんと長いこと、
友だちの名前がうらやましかったなあ。

ーーー

そんなわたしが、
"自分の名前"を好きになったきっかけ。

それは、
"名前の由来"を知ったことでした。

以前に少しお話ししたのですが、
家から父がいなくなって久しいです。

そんな父がわたしの名前をつけてくれました。

母からはこの名前になぞらえて、
「こういうふうに生きていってほしい」 
ということを幾度か聞いたことがあります。

その話がわたしはとても好きで。

というのも、
いかにも「わたし!」
という感じだったからです。

幼いころから今に至るまで、
つらいときも、かなしいときも、
いつでもその言葉に支えられてきました。

でも、ある時ふと、思ったのです。

「父はどうしてこの名前をつけたのかな?」

と。

ーーー

そして、
ある夏の日。

午前6時46分。

ねぼけのいきおい。

思い立って、
父に連絡をしてみました。

おはよう!
とつぜんだけど(ほんとうにとつぜん)、
わたしの名前ってなんでつけたのか覚えてる?

もうすこぶる昔の話です。

もしかしたら忘れちゃったかもなあ、
なんて思ったのもつかの間。

父からはすぐに返信がきました。

その返事を見たときに、
自分でもびっくりするくらい、

ぶわーーーっと涙が出てきたのを覚えています。

父がつけたこの名前。
そして、その理由。

それは思いがけないものでした。

ーーー

わたしは、
この父とこの母の子どもなんだな。

そのことをあれほどまでに、
全身で感じた日は後にも先にもありません。

父と母、ふたりが挙げた、
"わたしの名前"にまつわる想い。

それはまあぜんぜんちがうもので、笑
思わずふふふとなってしまったけれど。
それもまあまあふたりらしいってことです。

でもさ、ぜんぜんちがうのにさ。

「こういうふうに生きていってほしい」
っていう、
根っこの部分がおんなじだったんだよ。

そんなの泣けちゃうよなあ〜〜〜
(泣いてる?)

父の願いと、母の想い。

そしてそれは奇しくも、
「わたしがこうでありたいと思うわたし」
の最たるかたち、そのものでした。

ーーー

わたしがあと何年生きられるか。
それは誰にもわかりえないけれど。

この先の人生、
すべての時間を使ったとしても、

"名は体を表す"
に見合う自分になれるかはわからない。

でも、でもでも、でもね。
"名は体を表したい、" のです。

父と母、そしてわたし。
みんながみんな描いたこの名前への"愛"。

ふだんは"愛"なんて言わないけれど、
たぶんこれが"愛"なんだって思うから。

だから、
わたしはこの名前に見合うわたしになる。

いつか時がきたら、
皆さんにもこの名前の由来を聞いてほしいな。

『 うつくしく、生きる 』

ものすごく大まかにいうと、
"わたしのなりたいわたし"はこれです。

これからは、
そのために尽くしたいと思います。

"名は体を表したい"

この名前をつけてくれた父、
この名前への想いを育んでくれた母、

ほんとうにありがとうね。
ふたりの子どもでわたしはしあわせだ〜〜〜い!

いただいたサポートは、すべてたいせつにenjoy!の活動費に充てさせていただきます。(なにに使わせていただいたかはnoteにてご報告します👛✍️)