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日本が自力で生きていくために。
詳細には調べてはいないが農業従事者が高齢化。かつ日本人自体の世界で見たい際の相対的な稼ぎが減ってきた際(詳細は下記「安いニッポンを読んで」を参照)、輸入に頼る今のような状態で、野菜を安全に安く食べる事は果たしてできるのであろうか?というシンプルな疑問が浮かんできた。
おそらく漁業や畜産業においても同じ事が言えるのであろう。
私は幼い2児の父である日本人である。上記を始め、日本だけに生きるフィールドを限定してしまうような教育は危険と考えており、娘息子には海外でも生きてはいけるように英語と中国語は人並みには話せるような環境をできる限り今後も提供していくつもりではいる(全然足りないけど最低減)。ただ、現役世代を生きる僕ら(私は40ちょい前ぐらい)が、朧気ながらも、ある程度の確実性を帯びて見えてくる上記のような懸念を払拭するために何も動かない事。これは、一人の日本人の大人として不誠実なのではないかと最近思い始めた。思い始めたが故に非常に何とも言えない複雑な気持ちで日々を送っている。
私は、一応、一流ITサービス関連企業の管理職である。その中でも、規定最低必要年次で昇進を今のところしている、いわゆる「今のところうまくいってる組」である。ただ、クライアントの利益、それを介した自社の利益、結果、クライアントのサービスが本当に世の中を良くしているのか?課題を解決できているのか?必ずしもわからないかつ、時には何の効果もないという事も多々ある。今までは一生懸命働いてきてそれなりの処遇も得られ、それでなんだかわからないが満たされていた。でも何かが最近変わり始めている。
で、なんか人の役に立ったの?誰か幸せにしたの?生活が便利になるサービスはいくつも打ってきた。ただ、何か今世の中が直面している課題にダイレクトではなく、何やってんの?いい年こいてと思い始めてきてしまった。
40歳。論語でいう”不惑の年”。思いっきり悩んでいる。
薄い霧の張りつめたぼやっとした道、かつおそらくその道からは湿った感触つまり、終始転びそうな感覚に悩まされながら進むのか。それとも自らの心の声に従い、沈みこそすれ滑る感触のない道を進むのか?
どちらが正しいとかはないのだろうなとは思う。でも今現時点では後者を歩みたいなと考えている。
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・農業をITを駆使して自らやる。
・IoTと自らの今まで経験をフル活用して、地方と農業を元気にする
・IT技術の活用と自身のPRによりクールな農業、儲かる農業を実現し、農業を若者のあこがれの職種にしたい
・AIやVR,AR,センサー等を使った収益やブランドイメージ先行の口先だけの戦略に安易に終始しがちなITサービス業界を、自らのIT知識と実体験を元にしたユースケースを企業に提供する事により、真に世の中に「ソリューション」を提供できるような業界に戻す。
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そして、その親の姿を見て、子供に学んでほしい事は以下だけである。マークザッカーバーグの親のそのままだがw コロナによる世界の物理的分断、共産主義対資本主義の対立が、リベラルアーツの次元から誰でもわかる常識に変わりつつあるという現状を踏まえ、これだけはしつこく伝えていこうと思うし、子供達に授けたいと思っている力及びマインドである。
「自分の欲しいものは、自分で作る。作ろうとしてみる。」
そして、上記のような農業体験をとおして、「作れる」という事実を、ある程度の確実性をもって、直に見せておきたいと思ってる。ちなみに、農業を簡単だと言っているつもりは本当にない。ただ、大規模な工場を構えて製品を作ったりするほど資金もなく、秋葉原でパーツを買ってきて、PCを組み立てるほどのスキモノでもないという事だ。そして私は野菜はものすごく好きだという事である。
私はITの技術者ながら、これ以上のITの発展、デジタライゼーションは心が拒絶し始めているので、私流で上記を突き進めたいと思う。
自分の信じた業界、希望を見出した業界が、身近に困っている人たち、今、国が解決しなければならない課題に真摯に向き合える業界になる事を願いこの文章を書きます。もっとあるはずだ。
自分達ができる事。
そしてしなければならない事は。