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4ヶ月ぶり2回目の『カメラを止めるな!』に行ってきた

きょうのnoteは、ほとんど考えがまとまってない状態で書く。

と言っても、べつに普段のnoteも、見切り発車の側面がおおいにあるのだけれど。

いまさっき、4ヶ月ぶり2回目の『カメラを止めるな!』に行ってきた。

ぼくがいま住んでいる家の、最寄りの映画館での上映が、ちょうど今日で最終日だった。

19:00からの1本のみ上映されていて、それに駆け込みで観に行ってきた。

映画館で複数回観た作品は、今回がはじめてだ。

それくらい、ぼくにとっては『カメラを止めるな!』が衝撃的だったわけだが。

2回目の今回は、すこし俯瞰して「この作品はどうしてここまでヒットしたのだろう?」なんて、ちょっとした評論家気取りで鑑賞していた。

こんなもの、後知恵バイアスでなんとでも言えるし、実際、ぼくがいまからつらつらと書く内容も、どこかのだれかがすでに書いてるものに違いない。

でも、ぼくは書く。

後知恵バイアスも受け売りも甘受しつつ、それでもやっぱり、自身で一度キーボードに打ち込んでおく必要がある。


コンテンツを構成する2大要素とは?

ぼくは、映画含めたいわゆる「コンテンツ」とよばれるものの要素は、おおきく2つに分解できると思っている。

「ストーリー(構成)」と、「表現」だ。

そして、一般的には前者のほうが、分かりやすくてウケやすい

「ラスト5分の衝撃のどんでん返し!」などは、その一例だ。

ここでは、「コンテンツのジャンクフード」とでも名付けておこう。

一方で、後者に強みをもった最近の作品でいえば、ぼくは『グレイテスト・ショーマン』がパッと頭に浮かぶ。

表現を楽しむには、音楽や歴史、描写など、なんらかの教養や感性が必要とされる場合が多い。

参考:『グレイテスト・ショーマン』が賛否両論になる理由

あんまりいいたとえが思い浮かばなかったけど、「コンテンツの割烹」くらいにしておこう。

この2つに優劣はないけれど、上記のように味わい方がすこし違う。

そのため、「ストーリー」と「表現」、どちらかに振り切った作品の場合は、対象とするひとの多さから、「ストーリー優先型」のほうが、いわゆる「大衆ウケ」しやすい。

「表現優先型」は、視聴者(読者)を選んでしまうときがあって、評価自体はすごく高いのに、あまり興行収入や動員数は伸び切らなかったりする。

ここらへんの詳細な解説は、下記の鳥井さんのブログがわかりやすい。

そして、世間的に大ヒットするのは、「ストーリー」と「表現」、両方を兼ね備えた作品だ。

両方の視聴者に来てもらえるのだから、当たり前といえば当たり前だが。

最近だと、『君の名は。』『シン・ゴジラ』などだろうか。

こういった作品は、テレビなどでもすごく話題になるし、評論家の方たちからの評価も高い。


『カメラを止めるな!』は、どうしてヒットしたのか?

で、当の『カメラを止めるな!』はどうなのかというと、もちろんこれだけ大ヒットしたのだから、基本的には両方兼ね備えたタイプで考えるべきだ。

ただ、あくまでもぼくの主観だけど、どちらかといえば「ストーリー型」寄りの両輪型だ。

あの笑いは「ストーリー」に起因していると言えなくもないし、あれだけで成立しているとも言えるし、非常に絶妙なラインである。

あと、仮にあの笑いを「表現型」に該当させた場合、ここまでの例で紹介してきた『グレイテスト・ショーマン』や『かぐや姫』とは、また違ったテイストになる。

つまり『カメラを止めるな!』は、音楽や歴史、描写といった教養に訴えかけた表現というより、「共感」を突いた表現型なのだと思っている。

ここらへんの切り口は、もう完全に鳥井さんの受け売りである。

教養や感性に訴えかけるというのは、「バックグラウンドを共有する」ということでもあると思う。

逆にその条件を満たしていれば、「表現型」は別に表面上はジャンクフードっぽくなったり、堅い知識がなくてもいいんだなというのが、発見でもあった。

この作品の共感が訴えかけているバックグラウンドは、「作り手」だ。

1億総クリエイター時代になって久しいけれど、さまざまなツールの普及によって、だれでも気軽に作品を生み出せるようになった。

つまり、これまで一部の天才にしか許されていないと思っていた「作る」という行為が民主化され、みんなが「作る」ことの苦労や裏事情を知ることになった。

『カメラを止めるな!』は、いわばそういった舞台裏を、コメディ風に描いてストーリーに乗せた作品だ。

みんなが作り手の苦労を知っているから、あれだけの共感の渦が巻き起こった。

後知恵バイアスと受け売りを最大限に駆使すると、ここまでそれっぽいことが書けるようになる。


最近みんな、「共感」に辟易してないか?

それにしても、最近、本当に「共感」という言葉をよく聞く。

コンテンツづくりに限らず、ビジネスのいろんな場面で「共感」の重要性を説かれる。

でも。

なんの根拠もない直感だけど、そろそろ「共感」が押し売りのフェーズに入ってるんじゃないかという感じがしないでもない。

もちろん、どこかに明確な線があって、「今日から共感系コンテンツは売れません!」となるわけじゃないけど、少しづつ少しづつ、風向きは変わってきてる気がする。

先見の明がありすぎる徳谷さんも、こう言っている。

「共感」は時代の波に関わらずベースとして大事な感性の要素だと思うんだけど、あんまりそればっかりに走るのも、うーんな感じがしている。

参考:受け手を置いてけぼりにしたい
参考:今さらながら、ぼくりりさんの曲を聴き始めた

時代の答え合わせは、2019年に大ヒットする映画が、教えてくれる。


★1回目に観に行ったときの感想note


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