秋は食の幸せを
日中の暑さはまだまだ厳しい日が多いですが、美しい彼岸花の姿を拝めたり、モズが激しく鳴いている声が聞こえてきたり、どこからともなく甘い金木犀のような香りが感じられたりと「秋」を感じさせる自然現象に多く遭遇するようになりました。
10月になったことですし、今回は「食欲の秋」にちなんだ体験談です。
玄米を頂きました
実は少し前に、新米プラス古米のたくさんの玄米を頂きました。えんじろうが米好きなのを知って、お米を作っておられる方が少しお裾分けしてくださったのです。なんとも贅沢でありがたいお話ですね。感謝でいっぱいです。
その方へのお礼も込めて、味わった感想を書かせていただこうという記事です。
初の玄米挑戦
実はこれまでもお米を頂いたことはありましたが、いつも精米してから頂くというのが定番の流れでした。
ただ今回たまたま精米にゆく機会を待たずにそれまでのお米が尽きてしまったため、これはある意味チャンスだと感じ、大枚をはたいて購入した親友の電気釜に「玄米炊飯」をお願いしてみようと思い立ったのでした。
判らないから不安
何が心配かって、やっぱり初めてでよく判らない状態というのが不安を掻き立てますね。ただでさえ戴き物の大切なお米ですから、変なものを炊いて食べられませんでしたというのは嫌だ。そんな気持ちから慎重になっていました。
いつも玄米を食べている父親に電話して、何か注意する点はあるかとか、白米と違って特別やっておくことはあるかなど尋ねてみました。
基本的に同じで良いが、玄米は炊く前にちょっとつけておく時間を空けると良いらしいことを聞き、その通りにやってみることにしました。
計量と釜への投入
早速、釜にお米を入れ用としたのですが、水貼りの線に玄米専用のラインが有ることに気が付きました。白米5.5合炊きの釜ですが、玄米は3合までしか炊いちゃだめなのですね。
というわけでまずは3合の玄米を投入。
いやあもうこの状態で目を見張る美しさですね。大切に殻に守られていた米粒は、すでに殻は飛ばされています。そして艶めき立つ命の色がたくさん輝いている。本当に美しい。このひと粒ずつが、それぞれの歴史を紡いで生きてきたのですよね。
どんな風に生きてきたのだろう?カエルとか、どんな生き物たちと関わってきたのだろうか?怖い目にもあったかも知れませんね。
でも今ここにいる。
米「そんな目で見られている今が一番怖いんだよ」なんて思われていたりして。
米研ぎでキュッとなる?
米研ぎの感触が白米と何か違いがあるだろうか?実はここにも結構えんじろうの興味はありました。
恐る恐る研いでみると、なんだか土を触っているときのような独特の「キュッ」となる感触を覚えました。何にも伝わっていないかも知れないですが、どう伝えたらいいのか難しいですね。なんかこう手を握り直したりするときに、サラッとしていないというか「キュッ」て感じなんですよね。
そして白米よりも念入りに研ぎ続けてゆくと、少しだけ「キュッ」が減ってゆきます。3回炊飯した結果、やはりこの「キュッ」を減らす方が食べやすくなることが判明しました。
そしてこの体験から、もはや「白米」に米研ぎする意味はあるのかという感覚になりました。水入れて手でかき回す程度でも十分な気がしました。研ぎ汁が濁ったままでも「まずい」と感じたことはあまりないし。
脱走する米粒
そもそも炊飯画まで米を研ぐ行為が間違っているわけですが、洗うものが格段に減らせて楽だから、えんじろうはここは何と言われても譲りません!
しかし白米と比べると、水をこぼす際に一緒に込めが逃げ出すリスクが当社比10倍くらいは高いです。表面が滑りやすいのかな?
でもザルなんて使いたくないから、何とか脱走を減らす方法を考えます。
気がついたのは、脱走はこぼしてすぐには起こらないというところ。ある程度こぼすと突然脱走集団が浮き上がってきます。
そしてこのとき、傾けていた釜を戻し水を回転させると、何故か浮いていたやつが沈むんです。そしてまたしばらく浮かなくなるので、その間に排水が進められます。
こぼしながら様子見、脱走しそうになったら釜をぐるぐる。これを繰り返す形で釜内米研ぎを強行しました。もちろんこれも3度の体験から会得したのです。
これはさっき浮かんだ考察ですが、米が浮くのは皮と白米の間に空気が入って軽くなった粒たちなのかも。回転させると沈むのは、その際に空気の隙間が水と入れ替わったからなのでは?でもそうなるとしばらくしてまた浮いてくる説明ができませんね。
こうやって思考を巡らせるのは楽しいですね。完結編には至ってないですけどね。推理小説に夢中になる人って、こういう心境なのかな?それも秋の楽しみかな?
炊飯コース
後は炊飯器に炊いてもらうばかりなのですが、まずは父に言われた通り30分くらい置いてみました。
我が家の炊飯がまには玄米用コースがなんと3種類用意されていました。普通コースと豊潤炊きと金のいぶきという何だかすごそうな名称。豊潤は水分が多めになるとのことなので、好みではなさそうと判断し、最初は普通、3度めの炊飯では金のいぶきコースを選んでみました。
炊きあがり
写真は3度めの「金のいぶき」で炊いたときのご飯です。
普通コースのときも、やっぱり僕には水分が多めな感じがしました。皮がすぐに脱げて口蓋にくっつくようなイメージ。ミニトマトの皮がちぎれてくっつくともう取りた意欲マックスになるじゃないですか?(えっならない?)あれによく似た感覚になります。
それに比べて「金のいぶき」は、水分を少し減らしたのもあってか、皮もセットで1粒という状態を保っている感じです。確かに粒がいぶきを持っているように思える。このネーミングはだてじゃなかったみたいですね。
口の中で噛んで初めて皮が脱げ、白米的な部分にご対面という工程がとても好きになれそうです。
玄米の効果
4度目からは白米にしていただいています。最初の白米は、えんじろうが大好きなおにぎりにして外(出先の車内)で食べてみました。
やっぱりおにぎりは最高ですね。とにかく秋ということもあって食が進む進むという感じです。そして気が付きます。
米の味わい
ご飯の美味しさは白米も玄米も同じところにあるみたい。でも玄米にはあって白米にはない味がある。
そう皮の味(というより香りかな?)はじめは皮対白米比が3:1くらいなのが、噛むほどに1:2くらいまでなっていく。この工程が楽しめるのは玄米のときだけってことになりますね。それがえんじろう的な玄米の楽しみ方になりました。
食後の風景
食後は車窓からの景色を楽しんで、ちょっと果物も食べたりして。幸せな秋のひとときになりました。
まとめ
今という時間は今しかない。白米の日、玄米の日、その翌日が白米だったとしても、それは以前食べた白米ではないのだから。当たり前だけれど、忘れやすいから。忘れないように何度も思い出そうとしています。
みなさんもぜひ、2023年のたった1度しかない秋を、スポーツに芸術にと様々楽しんでくださいね。
玄米と「金山寺味噌」の取り合わせも、なかなか最高でしたよ。
さて、みなさまはお茶碗いっぱいのお米の数ってご存知ですか?
えんじろうがお米の大量の命のために作った「命・三千十」を含むCDアルバム「九十九神」も、ぜひ聴いてみてくださいね。そこには炊きあがった直後の炊飯器の蓋を開けた瞬間の音、内釜を打楽器として使った音色などたくさんの音での表現が入っていますよ。
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