桜庭一樹『名探偵の有害性』(毎日読書メモ(556))
桜庭一樹の新刊、『名探偵の有害性』(東京創元社)を読んだ。「紙魚の手帖」に2023年4月から2024年2月にかけて連載されていた小説。
それは、名探偵版「不適切にもほどがある!」のような物語だったのだが、宮藤官九郎のドラマ「不適切にもほどがある!」が放映されていたのが2024年1月~3月のクールだったんだから、『名探偵の有害性』の方が先だよ! 主人公鳴宮夕暮は夫とともに喫茶店「おいでぃぷす」を経営していて、そこに、昔コンビを組んでいた名探偵五狐焚風が風のように舞い込んでくるのだが、それも、「ふてほど」の重要な舞台、喫茶「すきゃんだる」に、阿部サダヲが入ってくるかのようである。
そして、
「俺たちの姿を見つつ、声も聞きつつ、登場しようかどうしようか迷っていたんじゃないかな。だから俺も話しづらくなって。ま、スンッとなっていたのもあるけどな」(p.199)
「書きあがったら読んでもらえませんか」と聞かれた風が、まだスンッとした青白い顔のまま「おう。いいよ」とうなずく。(p.194)
など、何ヶ所か、鳴宮が現在の風の様子を描写する際に「スンッと」という表現を使っている。「スン」というのは、ドラマ「虎に翼」の伊藤沙莉が言うまで聞いたことのない言葉だったのに、これも、「虎に翼」の放映が2024年4月~9月だったことを思えば、桜庭一樹が先だった。
大学の同級生だった五狐焚風と鳴宮夕暮は、ひょんなことから名探偵とその助手的な役割を担うことになり、全国で難事件の解決に力を貸すことなる。夕暮はその顛末を本にして、それも話題になったが、本にできなかった最後の事件を機に、2人は探偵業から足を洗い別離する。
それから二十余年、50歳になった2人は、夕暮の喫茶店「おいでぃぷす」で再会するが、その直後に、平成の世で一世を風靡した名探偵を断罪する動画が配信され、自分たちがしてきたことは何だったのかを検証すべく、二人はかつての事件の地を再訪する旅に出ることとなる。
章のタイトルはその章の中の文章の一節。
第一章「ー平成における名探偵の存在意義をだよ」
「おいでぃぷす」での名探偵と助手の再会、名探偵の有害性を告発するYouTube画像に反論したい、でもどうやって?
第二章「だって、名探偵は特別な人だから」
2人が大学時代を送った金川(ロケ地は山陰の都市か?)へ。最初の事件:骨格標本になった兄。名探偵は謎だけ解けば、その後はもうその時助けてあげた人のことは忘れてしまうのか?
第三章「もしかしたら、名探偵に向いてるかもね」
金川から隣県の鬼屍村へ。バイトに行ったスキー場のペンションでおこった連続殺人事件が第二の事件:鬼屍村連続殺人事件。バイトに来ていただけの大学生が、犯人捜しを始め、自分の生命も危機にさらすことに。名探偵は犯人や犯行方法を推理するだけで、犯人の心の中については手付かずですよね、と、当時の関係者から言われる衝撃。
第四章「彼は残った。俺は名探偵だから、と言って」
第三の事件:瀬戸大橋急行殺人事件 は、文字通り、本州から四国に渡る、瀬戸大橋上で、特別豪華列車に爆弾が仕掛けられ、減速すると爆弾が爆発するという豪華列車の中で、殺人事件と救出劇が同時に行われる。出所した殺人犯、保護司との対話を通じ、たまたま友人同士として、事件現場に行っていた2人が、名探偵と助手、という役割を与えられたジェンダー的な背景について考察することとなる。
第五章 #名探偵の助手の有害性
第四の事件:飛ぶ神と飛ばないお父さん。かつてカルト教団の本部のあった島へ。芸能事務所に所属して、名探偵として活動することになった五狐焚風と鳴宮ユウは、先に、教祖の嘘をあばくために現地に行っていた事務所の先輩の名探偵と、スケジュールの都合で交代するために島に行き、教祖の軌跡は種も仕掛けもあるトリックであることを暴き、依頼者の息子を教団から救い出す。見た目のハッピーエンドはそんなに単純なハッピーエンドだったのかを、当時の関係者から問われる。本にして物語を固定した助手にこそ有害性があるのか?
東京に戻り、続けて、第五の事件:少年が神話になった日、の現場へ。当時人気を博した名探偵たちの推理合戦、それは本当に正しい犯人を当てていたのか? YouTube配信者の「ころんちゃん」もいよいよ登場。当時の名探偵は捜査をかく乱しただけではないのか? 時代の不適切さを断罪しようとするその論理は、まるで「不適切にもほどがある!」のテーマのようである。
第六章「おばさんに必要なのはブルースだわ!」
第六の事件:巨大施設は大迷宮! の舞台は武道館。第五章までの遍歴で疲れ果てた2人は、武道館にい行く気を失いかけていたが、テレビ番組の収録の依頼を受け、結局は武道館へ。動機主体の事件を解決する際に2人の名探偵が呼ばれ、片方が犠牲になっている。収録の都合で、推理を曲げ、収録の都合で死者は増えたのか? 風の悔恨、それに気づいていないふりをした助手、という過去の未清算案件が名探偵の有害性を高めていく。でも、ここで二人は袂を分かっていいのか?
第七章 あのころ二人ぼっちだった
第七の事件:名探偵vs.機械探偵、荒川河川敷での死闘、は、なんで書籍刊行されなかったか、という謎が語られる。名探偵たちは、膨大なデータが仕込まれてそれを解析するAI探偵サマンサにどんどん敗北していく。風も、荒川河川敷で起こった殺人事件の推理で、サマンサに負け、事件は迷宮入りとなる。夕暮は、サマンサとある約束をして、事件の顛末の書籍化を断念する。現代、その検証をしていて、事件の解決の糸口が見つかる。
警察がいる世界で、なんで名探偵は出てこなくてはいけなかったのか? 犯罪をエンタテインメント化するため? 名探偵がいた結果、むしろ害を被っている人がいるのではないか?
色々な定義で名探偵の有害性を検討する。そして、名探偵という物語は、従来の男女間の関係性をあぶり出す、反フェミニズム的傾向を持っていたのではないか? 夕暮は、自分の半生を振り返り、自分もそうしたジェンダー的ファクターに目をつぶって生きてきたのではなかったかと自問する。文中の夕暮のモノローグはピュアな少女のようで、いとしく、また、痛い。ちょっと新井素子の小説のエンディングみたいな最後の一文に、助手にさせられたかつての少女の、魂の叫びがあった。
ミステリであり、ミステリ論でもある、そんな小説だった。夕暮が日本の足でしっかりと立ち、歩み始める未来を信じて読了。
#読書 #読書感想文 #名探偵の有害性 #桜庭一樹 #東京創元社 #ミステリ #紙魚の手帖 #名探偵 #不適切にもほどがある ! #虎に翼