毎日読書メモ(103)『鞠子はすてきな役立たず』(山崎ナオコーラ)
5月に、近刊『肉体のジェンダーを笑うな』(集英社)を読んでぶっ飛んだ山崎ナオコーラ(感想ここ)、今度は最近文庫になった『鞠子はすてきな役立たず』(河出文庫)を読んでみた。また別の意味でぶっ飛んだ。
初出は「赤旗」の連載小説で、当時のタイトルは『趣味で腹いっぱい』(河出書房新社から単行本)だったのを、文庫化する際に改題したらしい。うん、「趣味で腹いっぱい」ではなんだかわかりにくい。いや、正直言って「鞠子はすてきな役立たず」も、最初はピンとこなかった。読み終わったら、腑に落ちたけど、うーん、読み終えて腑に落ちるのでいいのか? 本のタイトルって難しい。
この小説は「お金を稼ぐこと」と「趣味」の対決を描いている。主人公小太郎は、「働かざるもの、食うべからず」を家訓とする家庭で育ち、職業を持つことが尊く、お金を稼ぐことに結びつかないものに価値や意義はないと刷り込まれている。しかし、鞠子と見合い結婚し、全く違った価値観の鞠子の意見に触れるうちに、自分が正義と信じてきたものは一種の呪縛だったのかもしれない、と思い始める。転勤とか不妊治療とか親の介護とか、様々な事情で専業主婦となった鞠子は、生活の中から、そして身近になった人との出会いから、様々な趣味を手掛けるようになる(興味深いのは、子どもの頃から傾倒していた趣味とかではなく、現在の生活の中で見つけた、ある意味付け焼刃的な趣味ばかりであるというところだ)。鞠子の屈託のなさは、小太郎のそれまでの価値観とあまりにも違い過ぎて、小太郎は葛藤する。小太郎だけが葛藤している。そして、おそらく本を読んでいた人だれもが想像だにしなかった、不思議な選択肢にソフトランディングする。
読んでいて、小太郎にも鞠子にも似ていないわたしは、価値観が違い過ぎてくらくらした。二人の選んだ道を見て、絶句して、ドキドキした。小説の登場人物の行く末について、こんなに心配してどうする、というくらい胸がばくばくした。そして、小説の中でストレートには描かれていないけれど、これが愛ってものなのかもしれないねぇ、と思った。
巻末に近い部分で「手作業は祈り」「趣味が世界をまわしているのかもしれない。仕事だけでは救えないことが世界にはあるんでしょうね」「他立と依存は違うものかもしれないなあ」といったセリフが出てくる(p.225)。これらの発言が出るに至る過程が、じんわりと美しい。ちょっと都合よすぎるような展開もあるけれど、既存の価値観を打ち破り、社会的な役割を超越した登場人物たちの在り方を、作者は探し求め続けているのかな、と思った。