毎日読書メモ(159)『アフリカ人学長、京都修行中』(ウスビ・サコ)
『アフリカ出身サコ学長、日本を語る』(朝日新聞出版)読んだら面白かった、京都精華大学のウスビ・サコ学長の本を、もう1冊読んでみた。『アフリカ人学長、京都修行中』(文藝春秋)。前作は、サコさんが、どういうきっかけで日本にやってきて、京都の学校で地歩を固めていったか、サコさんから見て日本人はどういう風に見えるか、といったことが書かれているが、今回は主に、結果的に自分の生涯の半分以上住むことになった京都の人たちのメンタリティについて、外国人の眼から語っている。
建築を通じ空間人類学を研究してきたサコ先生は、京都の町家暮らしと、マリの大家族住宅を対比する。イスラム教で、一夫多妻、すべての妻が同じ住宅の中に住み、代わりばんこに家族全体の食事の準備をする、その他セーフティネットも込みになったマリの共同居住の形態。生活の場としての中庭。両側町といって、一本の道路を挟んで両側にそれぞれ町が発展した京都、それぞれに時代に従って変容してきているが、それぞれの合理性がある。生活空間の融通性においてマリの生活と京都の生活に類似性を認めたりもする。
「ぶぶ漬けいかがどすか」に代表される京ことばの数々。婉曲表現や反語表現で、主張をストレートに告げない、決断を相手に委ねるもの言い。クレームがあっても、相手に直接言いに行かず、第三者から伝えさせたり、自分でない誰かが困っているというような言い方で、何かをやめて貰おうとしたりする。あー、これは京都に住んだことのないわたしにも全然わからない。そして、来日したての頃のサコ先生は全く空気読めず、言われたら言われた通りに捉え、相手の嫌味とか婉曲的拒否とかを全く理解出来ない。30年かけて、あれはああいうことだったのか、と少しずつ理解していった過程が書かれていて、京都に暮らすというのは息の長い活動なんだねぇと思う。
回りくどく、だけど、新たに入ってきたものについて理解出来ないと落ち着かず、根掘り葉掘り相手の状況を確認する。序列がはっきりしないと落ち着かない。イノベーションは婿養子によってもたらされる(新規なことを自らすることははしたないが、婿養子がやってしまったことは婿養子だから仕方ない、と容認する)。一見さんお断り、は、信頼関係の樹立によってしか人間関係は進まないという考えの現われ。ややこしさ。いけず。様々なキーワードが京都を京都たらしめ、京都を息長く発展させている。
距離の取り方も独自。鴨川等間隔の法則、店先の打ち水でどこまで水をかけるかによる縄張り感。京都の町家暮らし、お客は最初は上がり框で話をするだけ、道からつながった土間で靴も脱がずに話をするだけ。それが広間に上げて貰えるようになり、オモテノマ、ダイドコ、オクノマとどんどん深くに分け入るような人間付き合い。Step by step。いっときに心を開く、ということがない。サコ先生がロータリークラブに加盟しての経験も、最初はいちげんさん的な参加の仕方だったのが、徐々に役割を与えられていく。そして、表紙写真にあるように、北野天満宮の曲水の宴で詩歌奉納式に参列するまでになる。
日本に生まれ育ったわたしにすら理解出来ないメンタリティを、分析し、文化人類学的に解釈する心の強さに圧倒される。すっかり京都文化と同化しているようで、やはりおかしいと思うことにはきっちり異を唱える。その判断力決断力が、彼自身を更に強固にし、また、彼が学長を務める大学を柔軟かつ堅牢なものとすることだろうと思った。サコ先生の東京論も聞いてみたい。
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