北大路公子『すべて忘れて生きていく』(毎日読書メモ(327))
北大路公子『すべて忘れて生きていく』(PHP文芸文庫)を読んだ。ここまで着々と積み上げてきた北大路公子本の履歴を総ざらえして、これまで触れることのなかった新しい境地も見せて貰えたお得本。作者本人が全然整理管理していなかった過去の原稿をお友達のハマユウさんと編集者の愛と執念で1冊にまとめ上げた力作、作者だけ脱力した、文庫オリジナル本。刊行されたのは2018年5月で、古いもので2008年、最新は2018年までの色々な媒体に発表された北大路作品の蔵出し。
最初の方は、これまでに読んできたエッセイと同様の、脱力することに注力した日々の暮らしと考察。
それから、雑誌「相撲ファン」に連載された、北大路流の相撲鑑賞へのこだわり、思い出等々。伯父の思い出話をからめた回はちょっとファンタジーのようでもあり。相撲鑑賞にふさわしい酒場として「第三モッキリセンター」を強く推すエッセイは「dancyu」掲載。
そして、北海道新聞に連載した「呑んで読んで」を中心とした読書エッセイで、わたしがこんなに北大路さんが気になるのは、つまり読んでいる本の傾向が似ているからなんだ、ということを認識。どのエッセイも、読者に、この本を読むといいよ、とは勧めていない。新刊本の紹介でもない。身の回りの話を書きながら、ふっと自分が読んだ本のくだりを思い出している。この脱力の仕方、その中でこの本を引き合いに出すか、というくすぐり、わたし自身も読んだことのある本が多く、感心したり笑ったりして読み進める。ガラケーが壊れそうで、人にスマホを勧められても面倒くさい、と思っているエッセイで何故杉本鉞子『武士の娘』が引き合いに出されるかな(笑)。
そして、最後に2編の短編小説「まち」と「ともだち」、いずれも「小説新潮」に掲載されたものらしい。初めて北大路さんの小説を読んで独自性を堪能する。「まち」は、ちょっと村上春樹の「眠り」と似た導入で、既視感ある感じだったのが、途中から出てくる登場人物の語りが展開され、全く違った様相になっていく。そして、一瞬のハッピーエンドの予感がぐらぐらと不透明になっていく、不安な締め。その現実からちょっと乖離した非現実性は、これまでのエッセイの中でも、事実らしきものの中に混ぜられた虚構として描かれてきたものと似ているが、小説として構築した時に、こんなにきっちりとしたオチをつけるのか、と驚く。
「ともだち」はもっと不穏な空気が最初から最後まで流れる小説だったが、物語の論理がくっきりしていて、その論理に抗えない主人公がどんどん深みにはまっていき、最後に声が出てしまいそうに怖い結末を迎える。ほ、ホラーだったのか!
これまで読んだ本の巻末の解説などで、北大路さんの小説が読みたい、と書いている評者がいたけれど、エッセイで描かれている北大路さんの生活のペースの中で、このレベルの物語を次々と構築してほしい、というのはかなり難題に思える。読者は気長に待つしかない。5年とか10年とか。
奥付の一つ前のページ、「本書はPHP文芸文庫オリジナル作品ですが、刊行までにそれなりの苦労を要しました....。」とあって、担当編集者の苦労を思う。すてきな本をありがとう。
これまでに読んだ北大路公子 流されるにもホドがある キミコ流行漂流記 石の裏にも三年 キミコのダンゴ虫的日常 最後のおでん 枕もとに靴 頭の中身が漏れ出る日々 いやよいやよも旅のうち 生きていてもいいかしら日記
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