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温又柔『魯肉飯のさえずり』(毎日読書メモ(294))

温又柔『魯肉飯ロバプンのさえずり』(中央公論新社)を読んだ。前に『真ん中の子どもたち』を読んだのが昨年5月(感想ここ)、その頃から気になっていた本をようやく読めた。

『真ん中の子どもたち』同様、主人公は日本人と台湾人の間に生まれたハーフである。家の中では自然に日本語、台湾語、中国語が入り混じった言語で喋り、外では、普通に日本語を喋って育った桃嘉、就職氷河期に大学を卒業して、企業の内定を得られず、自分と結婚して家に入ればいい、という彼氏の言うがままに大学を出てすぐ結婚する。
就職氷河期の苦しみをストレートに描いた小説を読むのは初めてかもしれない。自己肯定感を傷つけられ、自分が求められている、と思える場所へ流れるように行ってしまった桃嘉は、その後、大きな葛藤と戦うことになる。
桃嘉の苦しみと、母雪穂が日本に来て不自由な日本語に苦しみつつ、娘を育ててきた過去が、縄をなうように一本になって描かれる。それぞれに誠実に、自分の出来ることをやってきたのに、この息苦しさは何だろう。
桃嘉は、母の故郷を訪れることで心を解放される経験をするが、だからといって、台湾が理想郷という訳でもない。流暢な日本語を喋った祖父が、自然に日本人の父を受け入れた経緯と、日本の統治下にあった台湾、蒋介石がやってきた中華民国時代の台湾、台湾の歴史も身に迫る。
桃嘉の生い立ちを、周囲の人たちがどのように受容するか、というのも温又柔の文学の大きなテーマだ。わたし自身が、桃嘉と同じ立場の人と交流したとして、その人の生き方をどのようにとらえられるのか。
母が作った魯肉飯の思い出、自分自身が八角を買ってきて作る魯肉飯、台湾で伯母が作ってくれる魯肉飯、読んでいて、鼻の奥につんと八角の匂いが刺すような心地がする。行こうと思えば半日もかけずに行ける島の、不思議な遠さが、雪穂、桃嘉の中の橋に不思議な垣根を作ってしまっている。
物語は救済を予感させる明るさをもって終わるが、最後のページの「(ことばがつうじるからって、なにもかもわかりあえるわけじゃない)」という、桃嘉の夢の中のメッセージが、これからも、温又柔の文学のテーマとなり続けるのだろうな、と感じた。

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