毎日読書メモ(191)『死にがいを求めて生きているの』(朝井リョウ)
伊坂幸太郎の『シーソーモンスター』(中央公論新社)を読んだときに(感想はこちら)、これが、中央公論新社の文芸サイトBOCから発した、「螺旋プロジェクト」の一環であることを知り、他の作品を読んでみよう、と思って、朝井リョウ『死にがいを求めて生きているの』(中央公論新社)を読んでみた。『シーソーモンスター』所収の「シーソーモンスター」が昭和末期、「スピンモンスター」が近未来の物語で、『死にがいを求めて生きているの』はその間にはさまる平成の時代を俯瞰した、2人の若者の成長物語。
螺旋プロジェクトは、8組の作家が原始、古代、中世・近世、明治、昭和前期、昭和後期、平成、近未来、未来を描く小説シリーズで、海族と山族の対立、断絶により、人類は対立することをやめられないまま歴史は続いていく、という設定で描かれた物語群。
導入では、海族と山族の対立は明示されない。転倒時に頭を強打して、脳挫傷による植物状態が続く南水智也を足しげく見舞う堀北雄介。この「現在」をプロローグとして、智也と雄介の道程を、子ども時代から様々な語り手の口を通して描く。その中で、何かと争い勝つことで生きがいを見出そうとする雄介と、そういう生きがい至上な生き方に疑問を呈し、雄介を宥めようとしながら、自分なりに対立の構造を論理的に解き明かそうとする智也の生き方を徐々に描く。
並行して、長年にわたり読者の支持を受けてきた漫画「帝国のルール」は、海山伝説を立証するための作品なのか、とか、社会を改善しようと運動する若者たちの原動力は何なのか、という疑問とか、スピンオフ的に伊坂幸太郎作品の中で出てきたかたつむりの絵本「アイムマイマイ」の最後のページのかたつむりの絵に螺旋が描かれているという水面下の共通点が現れてきたり。かたつむりの螺旋は、対立は永遠に終わらずぐるぐる回りであることを示しているのか。
思想的にはナッシングに近いのに、レイブという活動を通して政治的な意見を発信したがっていた安藤与志樹の屈折の物語が、ただ自分の評価基準を求めて動く堀北雄介と交差して離れていく章が心に残った。
最終章「南水智也」で、それまでの「対立」の構造が、一気に智也の言葉で総括される。
「今日が、何かが変わる前日なのかもしれないって、思おうよ」という雄介の言葉は誰にとっての福音か。
違いは対立を生む、という父の教えへの抵抗。
何もないところに無理やり対立を生んで、やっと、自分の存在を感じられる人がいて、そんなところからも対立がなくならないことを実感させられる。
そして、子どもの頃からずっと、雄介を意識して執着してきた自分こそ、生きがいがないと生きていけない人間なのではないか、と疑念にとらわれる。海族山族の分断への拒否反応による今日までの活動がなかったら自分は何を求めて生きてきたのだろうか。
対峙するものが存在しない世界に飛び移ることはできない。
それでも、生きていくしかない。生きなくてはいけない。
生の肯定、というにしては辛い物語だけれど。
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