山崎ナオコーラ『美しい距離』(毎日読書メモ(352))
山崎ナオコーラ、続く。2016年に、5回目の芥川賞候補となった、『美しい距離』(文藝春秋、現在は文春文庫)。芥川賞は逃したが、島清恋愛文学賞を受賞している。先日『母ではなくて、親になる』を読んだ時(感想ここ)に、この『美しい距離』が芥川賞候補になって落選して島清恋愛文学賞をとったあたりの経緯が書かれていて、気になったので読んでみた。
生命保険会社に勤める夫と、サンドイッチ屋さんを経営している妻。静かで心あたたまる夫婦関係は、妻が不治の病に倒れ、新たな局面に入る。多くの山崎作品の主人公がそうであるように、主人公である夫(この小説の主要登場人物たちは関係性で呼ばれ、固有の名前を持たない)には自分なりのこだわりがあり、妻の看病のために、上司と相談して毎日半日ずつ看護休暇(PCを持ち歩いて連絡はつくようにして、必要に応じて仕事などもしている。先見的にテレワークをしている感じでもある)をとり、妻の母とかわるがわる、妻のそばにいるようにしているが、看護から死に至る経緯の途中で人からかけられる言葉に対していちいち引っかかる。そういう風に言われてしまうという状況についてやむを得ないものがあることもわかるけれど、自分としてはそうした言葉かけや態度にがえんじることは出来ない、という気持ちでもやもやしている。
他者の価値観の押しつけの耐え難さ。気持ちはわかる一方で、自分が自分の周囲の他者に対して踏み込み過ぎない配慮が出来ているのか、と怖くなる。
妻が亡くなった後、かけられた言葉について、こう考える。
引用していて、こうした気持ちを人に向かって直接表明していたら「めんどくさい人」って言われるだろうけれど、実際には誰にでもそうした、他人に言われる通り一辺倒な言葉に反発する気持ちはあると思う。
そのざわざわした気持ちをすくいあげることが、山崎ナオコーラはすごく上手だ。登場人物たちの気持ちに100%共感するわけではないが、自分が大切にしたいことを踏みにじられれば悔しく哀しい。
じゃあ声掛けしなければいいのかな? そこが難しい。人間社会は沈黙の世界になってしまう。別に、配慮して、と無言で圧をかけるわけでもない。
主人公である夫の独白部分を強く取り上げてしまったが、この夫と妻の孤高な愛情の美しさが、小説全体に光が射しているようなイメージを与えてくれる。悲劇的だが、絶望ではない。