今村夏子『父と私の桜尾通り商店街』(毎日読書メモ(465))
昨年末マイブームだった今村夏子、2019年の短編集『父と私の桜尾通り商店街』(KADOKAWA、現在は角川文庫)を読んだ。芥川賞を受賞した『むらさきのスカートの女』(感想ここ)と前後して刊行されている。
忘れないように、それぞれの作品のざくっとした梗概を書いてみたが、読んでいない人には何が何やらわからないだけのまとめかも。
「白いセーター」一緒に住んでいる婚約者の姉から、半日間子どもの世話をしてほしいと頼まれる。手に負えない子どもに、故意にではないけれど手をあげたような状況になってしまい、それをきちんと報告しなかったことで、婚約者とも話がかみ合わなくなる。そんなささくれだった心のまま、クリスマスにお好み焼き屋さんに行ったとき、匂いがうつらないように、婚約者がコートでくるんで守ってくれた白いセーターには、やっぱりお好み焼きの匂いがうつってしまったが、ビニール袋に入れて保管するセーターを、たまに箪笥から取り出し、袋をあけて匂いを嗅いでみる。
「ルルちゃん」:その日暮らしの派遣で暮らす。仕事をしない日は図書館で本を読む。図書館で知り合った安田さんの家にたまたまお邪魔することになり、そこの家で、安田さんの気持ちのはけ口となっていた、育児人形のルルちゃんを、こっそり持ち帰ってしまう。それをきっかけに生活を変えようと一念発起し、新しい仕事先でベトナム人の友人レティが出来る。レティの影響で自分を変えていく。レティに、ルルちゃんが家に来たきっかけを話したら、ド・ボ・ロ・ウ! と言われる。
「ひょうたんの精」:チアリーディングのチームで一番スレンダーで美人だったなるみ先輩、かつては椅子が壊れるほどのでぶだったのが、ひょうたんの精を身体に取り込み、摂取したエネルギーをひょうたんの中の七福神がぜんぶ吸収してみるみるうちに痩せて、どんなすごい技も使えるようになった。ところがある事故で精たちがいなくなってしまって、また太ってしまったなるみ先輩、マネージャーのわたしは、全盛期のなるみ先輩を思い出し、当時の技が復活するよう知恵を絞る。なるみ先輩が部を去った後も、輝き続ける後輩たちが「吸い込まれて」しまわないよう祈り続ける。
「せとのママの誕生日」:「スナックせと」でかつて働いていた沢山の女の子の中からわたしとアリサとカズエが、ママの誕生日を祝いに、久しぶりに店にやってくる。それぞれの特技、ママによる荒療治と、首になったきっかけを思い出しながら、店の中で目を覚まさないママの前、3人はまるでママを弔うようにさまざまな儀式をとりおこなっていく。
「モグラハウスの扉」:学童保育帰りに、工事現場で知り合ったモグラさんは、このマンホールはモグラハウスへの入り口で、中にはすばらしい地下空間が広がっているのだと言う。学童保育のみっこ先生を連れてくると、みっこ先生もその物語に取り込まれる。工事が終わり、モグラさんは姿を消し、そのマンホールだけが残ったが、その扉がわたしとみっこ先生の前で開かれたのはそれから何年も何年も後のことだった。
「父と私の桜尾通り商店街」:商店会からはぶられ、父とわたし2人で細々と、桜尾通り商店街の端っこでパン屋を経営してきたが、田舎の祖母が介護が必要となってきて、そこに帰ろうかという話になる。でも、間違って仕入れてしまった材料がまだ沢山あるから、しばらくはパンを作っては売らなくては。そんなうちに商店街に新しいパン屋が開店する。新しいパン屋の経営者がお店の様子を見に来たのだが、わたしは彼女の歓心が買いたくて、店のコッペパンを様々なサンドイッチにアレンジして、毎日彼女を待ち続ける。そうしたら、それまでぱっとしなかった店にどんどん客がやってきてコッペパンのサンドイッチを買っていくようになる。もっとパン屋が続けたい!、そう思ったわたしの前に立ちはだかる現実、そしてわたしが見つけた解決策。
どの話もちょっと怖い。どの主人公にも共感できないような気もするし、でも自分の中にある何かを反映している部分があるように思えて、憎めない。というか、たぶん、読み進めているうちに、登場人物たちにいくばくかの愛情を感じるようになっているのだろう。こんな気持ちを掬い上げられるストーリーテリングに感嘆する。
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