毎日読書メモ(264)山崎ナオコーラさん、和田彩花さん@ハイシスタ(Hi Sista)オンラインイベント
昨夜(2022/3/3)は、朝日新聞Hi Sistaのオンラインイベントで、山崎ナオコーラさん、和田彩花さんのトークライブを聴いた。
オンラインイベント「『普通』にさようなら ~パートナーシップとルッキズム~」第2回「ルッキズムへの問いと、ありのままの私」。
見た目で判断されてしまう社会の在り方への疑念。
しかし、ルッキズムに疑念を呈し、価値観からの解放を訴えようとしても、自分と他者の差別化を考える限り、価値観の自由化というのはあり得ないのではないか、と、トークを聞いていて思った。
見た目によって差別されることは、自分の容貌に問題があるのではなく、見た目で差別しようとするその心持の方に問題があるのである。そういう概念自体が、近年まで確立できていなかったことが、多くの人を苦しめてきた。SNSによって、自分の思うところを主張しやすい風潮が出来たことにより、枷が取れやすくなってきた、と、山崎さんは語る。
和田さんは、元アイドル、という立場から、自分がこういう風に主張したいと思うことを、アイドルとしてあるべき姿に押し込められ、自己を殺さざるを得なかった体験について語る。可愛らしさの価値観が、場合によって当事者を苦しめる。そして、可愛らしさ至上の価値観で傷つく、「可愛らしくない」とされる人々。
一方で、じゃあ、何の努力もせず、「ありのまま」でいればそれでいいのか、という疑念もある。ありたい自分であるための努力にも価値がある。それはルッキズムとは別の次元だが、でも、人によっては、見える姿をよりよくすることを、自分の価値として目標にする場合もあると思うし、それを
一刀両断否定することで、迷う人傷つく人もいるのかもしれない、と思う。
常に、自分自身の振る舞いが、他者の否定につながったり、他者を傷つける可能性があることを意識して生きなくてはならない、と山崎さんは言う。全世界にたいして優しく、思いやり深くあることは不可能だが、だからといって、考えることを放棄してはならない。
山崎さんが、ルッキズムからの解放への一助となる参考として挙げた本へのリンクを貼っておく。容貌障害、という概念について、もう少し考えてみたい。
これまでに読んできた山崎ナオコーラ作品 ニキの屈辱 偽姉妹 私の中の男の子 鞠子はすてきな役立たず 肉体のジェンダーを笑うな
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