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毎日読書メモ(29)『「色のふしぎ」と不思議な社会 ――2020年代の「色覚」原論』(川端裕人)

学術と文芸の狭間に立つ作家川端裕人さんが書いた『「色のふしぎ」と不思議な社会 ――2020年代の「色覚」原論』(筑摩書房)を読んだ。

たまたま、身内で色覚障害を持つ人がいなかったため、今まで深く考えることなく暮らしてきたが、色覚に障がいのある人も一定数いるし、本人は障がいがなくても、遺伝子に入っていて、自分が生んだ子どもが障がいを持つ可能性のある人も一定数いる。その人たちの苦しみについて考えさせられた。

かつて色盲と呼ばれ、学校での検査で人前であぶり出され、就職や結婚にあたって厳しい差別を受けることが多かった色覚障害のある人々。だんだん、そこまで激しく差別する根拠はない、というように社会の風潮は変わり、一時は学校等での色覚検査がなくなるところまで行ったが、その結果逆に成長するまで自らの色覚異常を認識することがなく、自分の希望する進路が、目前で絶たれる人が現れることとなり、色覚検査が復活した自治体がかなり増えているが、100%ではない(今ここ)。

自分の目の前に見える光景を、誰もが同じようにとらえている、と人は思っているが、その人の網膜が、脳が、どのように捉えているかは千差万別らしい。それを言語化するのは難しい。特定の色と色との識別が難しいことを、障がいと呼ぶが、そういう色覚の人は一般的に健常者と呼ばれる人が識別しにくい色を、見分けることに長けていたりする。それは、狩猟採取社会だった大昔に、そういう人もいた方が、採取の幅が広がる、その名残だったりする。

そして、今多くの発達障害がスペクトラムで認識されているのと同様、色覚の障がいも、どこかにきっぱり健常と異常を分ける境界線があるのでなく、色々な見え方、感じ方が段階的に並んでいるということが、多くの研究の中でわかってきた。

レッテルを貼られて苦しまなくてはならない理由はないし、本人の障がいを改善するための治療法なしに、無闇にラベリングすること自体が不合理である、ということが本書のなかで語られるが、色覚異常だけを研究対象として追求できる眼科医が殆どいないというのも現実である。

学校などでよく行われる石原式という色覚異常検査表で障がいを指摘され、大人になるまでずっと自分は色覚異常者だと思ってきた作者は、この本の執筆にあたり、他の検査を色々受けた結果、研究者からあなたは色覚異常とは言えない、という診断を受け、逆に戸惑う。石原式によるスクリーニングは、学校等の現場で、さらに踏み込んだ検査をすべき、という篩をかけることは出来るが、その先の検査を出来る場は大変限られていて、一次的な検査結果で自分は色覚障がい者だと思っている人が沢山いるが、実際には日常生活に支障はなく、障碍者として差別される感覚により傷ついているだけの人も一定数いるらしい、ということが、この本を読んでわかった。

専門性の高い記述も多く、すべてを理解できたとは言い難いが、色覚という、言語化しにくい感覚の中に、スペクトラムがあって、一人ずつが少しずつ違う見方見え方の中で生きているということを認識した。

自分或いは身内で悩んでいる人には一読を勧めたいし、そうでない人も、色覚に限らず五感の色々な要素の中にスペクトラムの広がりがあるらしい、ということを考える、一助となる本だと思う。

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