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北大路公子『最後のおでん ああ無情の泥酔日記』(毎日読書メモ(291))

ちゃくちゃくと読み進めている北大路公子もこれで5冊目。というか、作者のデビュー作『枕元に靴』(感想ここ)に続く、日記サイトエンピツにアップされていた泥酔日記の「三十九歳の日々」と「四十歳の日々」をおさめた『最後のおでん ああ無情の泥酔日記』(新潮文庫)。
今回も作者の心の自由奔放さに身をゆだね、彼女の見ている世界を文章を通して追体験する。日記読者の「私と著者は同じ年頃だと思いますが、こんな生活をしている同年代の人が本当にいるとは思えません」という感想が紹介されていたが、いや、わたしも同世代ですけど、こういう人生、ありありだろ、と思ったよ。やっぱり人はそれぞれだなぁ。
愛猫「斎藤くん」が亡くなり、途中まで現れていた彼氏ヤギとフェイドアウトするように別れ、妹に娘が生まれてものごころがついていく様子などに、時の流れを感じる。一方で前作にもあった、虚実の境のわからない不思議な風習の語りにロマンチシズムを感じる。
携帯電話についての諸エピソード(友愛に笑った)などに、若干の時代性はあるが、社会現象や事件等に関する言及や分析は殆どなく、20年前も、今も、20年後も、彼女を取り巻く生活に対する態度は不変で盤石なのではないかと思わせてくれる。

本書は新潮文庫版で読んでいて、残念ながら寿郎社の単行本に出ていたと思われる山本文緒との対談の続きが読めなかったのがつくづく残念。一方、大矢博子の解説が、北大路公子のエッセイの面白さを冷静に分析していて、妙に腹落ち。多くの笑わせてくれるエッセイストの作品は、笑いの上に+αの要素があって、それも含めて堪能するのに対し、北大路公子のエッセイは、作者の計算した+αはあえて露骨に提示しないようにして、そんなことはどうでもいいから語彙力・比喩力・表現力の高さで笑う、そんな作品になっている。ご本人及び身近な人に関する露悪的な表現を突き詰めた文章の中で、共感と他山の石的な教訓と突き放した笑いが交互に訪れる。キミコさんは時としてわたし自身であり、飲み友達であり、彼女の見る光景は、わたし自身も知っている光景であったりする。

引き続き読みます。

これまでに書いた感想: 枕もとに靴 頭の中身が漏れ出る日々 いやよいやよも旅のうち 生きていてもいいかしら日記

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