江國香織『シェニール織とか黄肉のメロンとか』(毎日読書メモ(528))
江國香織『シェニール織とか黄肉のメロンとか』(角川春樹事務所)を読んだ。色んな書評で好意的なコメントを見た作品で楽しみにしていたが、なるほど、年をとっていくことを肯定的に作品に反映させる、一つの試みだ、と感心する。
作家の民子、大学時代の同級生で、最近イギリスから帰国して来たばかりの理枝、専業主婦の早希。たまたま出席番号が隣り合わせで、一緒にいる機会が多かったことから「三人娘」などと呼ばれていたのが、それから数十年、境遇はバラバラだけれど、一番気がおけない付き合いが出来ていて、お互いの家族や恋人たちなどもまるで拡大家族のように、付き合いの中に含まれている、不思議な親密さが醸し出されている。
こういう、長い付き合いの仲間の物語というのは、月日が流れるにつれて生じるギャップを、否応なしに感じて、たまに会うと嬉しいけれど、疲労感も感じる、といったスタンスで描かれる小説が多いけれど(比較的最近読んだ小説だと角田光代『銀の夜』とか)、この小説の3人は、最初から、お互いの性格の違いを強く認識していて、自分のいる環境とは全く違う状況にいる他の2人に会うことは、なんだか疲れそう、と思っているのに、実際に会うと、不思議なくらい愉しくて、行ってよかった、嬉しかった、という気持ちになっているところがとてもいい。江國香織の小説は、逆に、理解し合えない人たちの物語が多かった気がするのに、ここに来て、長く生きて、自分と似ていない人達への融和を感じる人の物語を書くとは。
この間、川上弘美『恋ははかない、あるいは、プールの底のステーキ』を読んだ時同様、同世代を生きる作家が、読者であるわたしと一緒に年を取っていくのを実感する。あまりにストレートな色恋からは距離をおき(でもすっぱり縁を切ったわけでもない)、そういうのと別の場所で、気の置けない仲間と過ごす時間のいとおしさを堪能する様子を描いているのが、なんだか心の琴線に触れる。民子と理枝と早希は57歳位で、世代が近いこともあり、生活の中で感じる疲労感とか、健康に関する心配事とか、あとは、インターネット以前の時代と現代の対比の感じが身近。でも逆に、生活に困ってない感がファンタジーめいてもいる。みんな、買い物に躊躇がなく、老後の心配を全くしておらず、民子の母薫は最近になってプール通いにはまっている元気ぶり。民子は母が捻挫したと言っては飛んできて怒っているけれど、薫自身は、自分が死ぬとも思ってないんじゃないだろうかと思えるくらいの天真爛漫さ。
民子の中高時代の同級生で、大人になってから親しくなった里美が膵臓がんで早世し、残された一人娘のまどかとその恋人の陸斗がまるで親戚のように薫と民子の家に出入りしている。イギリスから帰ってきた理枝は、自分の住処を決めるまで、と、民子の家に長逗留、その理枝の実家は弟夫妻が改築してしまい、弟夫妻には会いたくないが、その息子の朔とは外で会い、更にそのガールフレンドのあいりとも親しくなる。民子の昔の恋人百地が定年退職後に離婚して一人暮らしを始め、また色恋抜きで会って話したりご飯を食べたりするようになり、そこに理枝が参加することも。早希は夫や息子と暮らしていて、ふだんは家を出て民子や理枝と会っているけれど、天衣無縫な理枝は突然早希の家を突撃したりもする。物語は、理枝の自由奔放な行動に翻弄されながら、実はそんなにいやでない民子の物語を核に、少しずつ関係性がかわっていく、関係者たち(拡大家族のような)の群像劇になっている。みんな美味しそうにご飯を食べ、ワインを飲んでいて、わたしも仲間に入れてと言いたくなる。物語世界の中にはウィルスの蔓延もなく、それぞれに興味の向くことを追求し、他愛もないようなことをえんえんと語り合い続ける。
大学時代、早希と民子が入っていた読書サークルに、理枝もときどき参加していて、その頃の思い出話をする中で、タイトルになっているシェニール織とか、黄肉のメロンの話も出てくる。
そう、今は本を読んでいて、わからない言葉を出てきたら、スマホとか、パソコンとかでその言葉をググることがあるけれど、昔は、その本に丁寧な注がついていなければ、知らない言葉は知らないままだった。まさか、知らない単語すべて辞書をひいたり百科事典を参照したりはしていられない。
そうして、シェニール織って、どんな素敵な織物だろう、と、3人は漠然とイメージをして、そのまま何十年も過ぎたのだが、たまたま早希が思い出して、調べて、それが、FEILERのハンドタオルみたいな、ちょっとぼってりした、厚手でぼんやりした模様の入ったものであると知り、幻滅したり衝撃を受けたりしている。ポークパイハット、カンタロープメロン、ネトルスープ。シェニール織は、幻想を抱く前に実物を知っていたのでふーんとしか思わなかったが、ポークパイハットやネトルスープは本を読みながらググった。すぐに答えが出るのが幸せとは限らないよな、と思いながら。子どもの頃読んだ、海外の小説、注がついていてさえイメージできなかったさまざまな舶来の品々のことを思い出す。
たぶん、民子と理枝と早希の物語は続けようと思ったら何年でも続けられそう。小説は結末なくすとんと終わる。その先には拡張された未来があるんだ、と予感させながら。
最後のページで「理枝はいつもわたしの想像の上をいくわ」と民子が言うと、理枝は最近の若い子は『想像の斜め上』って言わない? 想像の上と斜め上とどう違うの、と問う。息子を二人育てた早希なら知ってるかな、とLINEを送るところで終わる小説。答えはない。登場人物よりも、作者がいちばん自由なんだ。
自分を好きであること。機嫌よく過ごすこと。他者を傷つけず、自分も傷つけられないようにすること。そういうことの大切さを教えてくれる小説だった。
ワインとカンタロープメロンの描かれた表紙(西淑)も可愛い。カンタロープメロンは赤肉で、タイトルの黄肉と違うけれど、それでいいじゃん、と思えるいとしさ。
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