新芥川賞作家、佐藤厚志の最初の単行本、『象の皮膚』(毎日読書メモ(470))
『荒地の家族』(新潮社)で第168回芥川賞を受賞した、佐藤厚志の単行本第一作となった『象の皮膚』、初出の「新潮」2021年4月号で読んだ(単行本は新潮社より刊行)。「象の皮膚」は三島賞の候補になっている(その時受賞したのは乗代雄介『旅する練習』)。
色々な要素がバランスよく描かれ、ぎゅっとした印象の作品。
作者が現役の書店員であることは既に色々な媒体で紹介されているが、「象の皮膚」の主人公五十嵐凛もまた仙台在住の書店員である。書店員のリアルが描かれ、お仕事小説としても大変興味深い。わたし自身が、事業の一部として書店経営を行っている会社に勤務していたことがあったので(結果的に書籍とは関係のない業務をしていたのだが)、研修で書籍売り場のレジに立ったこともあり、ここで描かれているようなことって確かにありそう、とうなずきながら読んだ。さまざまなクレーマーの姿がカリカチュアライズされて描かれているが、こんなに書いちゃって大丈夫?、と不安になるくらい。
書店の業務、とは別の側面では、人事ヒエラルキー。凛の職場では正社員は店長と副店長の2人だけ、凛ともう一人契約社員(妻子持ちで、正社員昇格を切に願っている)がそのアシストをして、パートやアルバイトの人を仕切っている。そこに一人正社員が配属されるが、イケメンで女性職員の人気を博するのに、ムカつくくらい使えない。凛と同僚女子たちの会話なども読ませどころが色々。
そして、凛自身の子どもの頃からの重度のアトピーの苦しみ。家族関係についても、子ども時代から現在に至るまで色々な場面で語られ、自分以外の家族にアトピーがなかったため、両親にもきょうだいにも辛さを理解して貰えない無力感があり、気候の変化により強烈な痒みに襲われ、掻きこわすまで掻いてしまったり、皮膚の表面が固くこわばり黒く沈着し、象のようだと自嘲。
時として過去を振り返る。暑くても長袖の服を着続け、男子にいじめられ、同情的な態度をとってくれる女子には逆に自分が意地悪にしてしまったり。水泳の授業なんてもってのほか、と「水着を忘れました」と見学をしようと申告して教師にプールの周りを何周も走らされ、足の裏を火傷したり。
そして、東日本大震災。店の棚が倒れ、本はばらばらに崩れ、海沿いに住んでいた同僚は家を失い仮設住宅に入る。停電。断水。物資不足。あまりに圧倒的な暴力に襲われ、逆に、悲惨さ不便さ、消息不明の知り合いを思う苦しさといった部分は排除され、書店員たちが少しずつ職場に来ては店舗の再開に向けて尽力する様子が淡々と描かれる。結果として、仙台の書店で一番速く営業を再開したが、入り口には書籍を求めてやってくる人々の長蛇の列。流通がきちんと再開していないことは分かっている筈なのに、雑誌の最新号の入荷がないと怒る客。震災とは別次元のカオス。
そしてタレントがやってきてサイン会を行うことになり、凛が危惧していた以上の大混乱が起きる。本は売れるが、発案者の凛が始末書を書く。
そして、携帯のアプリの中の仮想彼氏は大震災後の通信途絶、電力不足でなんとなく疎遠になり、震災後、開催が決定した声優のイベントでまた大混乱に巻き込まれる。
200枚の小説に本当に色んな要素がてんこもりで、でも、破綻なく、凛の苦しみとか、逆に家を出て自立しようとする強さとか、アトピーとの長い付き合いによる自己分析の深化とか、凛のひとり立つ強さを際立たせる。長袖長い裾の服を着続け、隠してきた象の皮膚、それを解放するラストがかなり衝撃的。
ああ、ここ超共感、と思ったのは、あるきっかけで男性の部屋に招じ入れられたときの描写。
「・・部屋のソファに座った頃にはきたことを後悔した。疲れていたし、広々とした部屋の中には興味を引くようなものはひとつとしてなく、そもそも本棚がない時点で凛は興味を失った」
だよねだよね。
たぶん凛はわたしの友達だ。
隅から隅まで面白い小説だった。
ということで、次は『荒地の家族』を読まなくては。