藤谷治『あの日、マーラーが』(毎日読書メモ(409))
藤谷治『あの日、マーラーが』(朝日新聞出版)を読んだ。2011年3月11日(金)、未曽有の混乱下にあった東京で、予定されていた演奏会を開催した、ホールとオーケストラと指揮者と、105人だけやって来た観客の物語。
錦糸町のすみだトリフォニーホールで、ダニエル・ハーディング指揮、新日本フィルハーモニー交響楽団が、ハーディングのミュージック・パートナー就任記念演奏会としてマーラーの交響曲第5番を演奏。チケットが完売していたコンサートだったが、同日の14:46に起きた東日本大震災で交通途絶、リハーサルに向かっている団員の中にもまだホールに辿り着いていない人がいたという。そのような状況下、ホール担当者は演奏会の開催を決定する。ホールの安全性が確認され、演奏会を開催しない理由はない。「一人でもいらしてくださる方がおられるなら、演奏会は行うべきだ」という方針の元、演奏会は開催された。
作者はすみだトリフォニーホールの協力を得て、この小説を執筆している。実話に基づいてはいるが、小説は小説である。当事者たちが実際はどう思っていたかはわからない。でもこれも一つの3月11日の物語である。
今でも時々、「あの日、どうしていた?」と誰かと話すことがある。その時日本にいた人誰もが、忘れられない3月11日の物語を持っている。
その中で、マーラーの5番に特化した物語を抱えることとなった人たちの物語。小説の中で時系列は前後する。演奏後に開放されたホールのロビーで一晩を過ごした人。港区の自宅まで歩いて帰ると決めた人。そもそも、この小説の登場人物の観客たちは、近隣の人でなく(105人の観客の大半は、ホールまで歩いて行ける場所にいたり、住んでいたりする人が多かったようだ)地震発生後に、何かに導かれるようにはるばる錦糸町のホールまでやってきた人たちだった。
それぞれが、自分の物語を持って、何らかの意思を持って、ホールにやってきた。そして、閑散とした客席でそれぞれにマーラーを聴いた。読みながら、この交響曲の様々なパッセージが頭の中に鳴り響いた。映画音楽に使われたことで殊更に有名になってしまった4楽章のアダージェットだけでなく、冒頭とか、途中の特徴的なパッセージとか、口ずさみながら読み進めた。
ホールの外では交通手段が止まっているために家に向かって歩いている人が多数いただろうし、車の中で永遠に続くと思われる渋滞に見舞われていた人もいただろう。そして、テレビで東北の太平洋沿岸で起こっている惨事を見て息を呑み、涙を流していた人もいただろう。多くの命が消え、また救出のために尽力する人がいて、放心状態になっている人も多かっただろう。
同規模のコンサートホールでも、釣り天井が落下して、多大な損害を被ったホールもあった。
多くの人にとって、巨大なゲネラル・パウゼ(全休止)となった、14時46分の大地震。その後の物語の一つとしての、当日演奏されたマーラー。
新型コロナウィルスで多くの演奏会が中止になって、ようやく再開された音楽会で、ある指揮者が、演奏後、客席に向かって「わたしたちには、音楽が必要です!」と語りかけた。
その時とはまた事情が違うけれど、音楽の持つ大きな力、それは人間が生きていく上でかけがえのないものであることを、ことあるごとに思い出す。
この小説も、
「今日は、どうなるんでしょう?」
「判りません」
「でも、いい音楽でした」
「そうですね。ずっと忘れないでしょうね」
「ええ」
「忘れないことがあるって、いいですね」
という会話で終わる。
誰もが忘れない瞬間を持つのであれば、それは、少しでも佳いものであるように、と願う。辛いこと、悲しいこと、恨めしいこと、沢山あっても、何か忘れられない美しい瞬間を持てるのであれば、それほど幸せなことはないと思う。
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