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小谷田奈月『リリース』(毎日読書メモ(411))

三島賞を受賞された頃から気になっていた小谷田奈月さんの作品を初めて読む。って、小谷田さんが『無限の玄』で三島賞とったのは2018年、4年もたってるよ。遅すぎ。そして、2017年に三島賞候補になったのが今回読んだ『リリース』(光文社、のち光文社文庫)である。(『無限の玄/風下の朱』は筑摩書房刊、文庫になってないのか、と思ったら今月ちくま文庫に入るらしい)。『風下の朱』は、芥川賞候補になっているが、うーん、今回『リリース』を読んだ印象はあんまり芥川賞っぽくない...いつか、ドゥマゴ文学賞を受賞されるのではないかしらん、と勝手に予測。

デビューのきっかけが日本ファンタジーノベル大賞ということもあってか、作風は異世界的。
本をテーブルに置いておいたら、裏表紙の筋書きを読んだ娘が「これ全く理解出来ないんだけど、一体どういう話?」と尋ねてきた(その時点では読み始めてなかったのでわたしも答えられず)。その、難解な筋書きはこちら。

弾正同県が実現し、同性愛者が新たなマジョリティとなった世界。異性愛者の男子大学生、タキナミ・ボナは、オリオノ・エンダと共に精子スパームバンクを占拠した。駆けつけたビイは、ボナの演説に衝撃を受ける。「マイノリティという存在を概念ごと捨て去ることに成功したこの素晴らしい社会が、ぼくの人権を侵したのだということです」。現代の人間の在り方を問う衝撃作。

光文社文庫『リリース』裏表紙

なるほど、読了してあらためて見ると、本当にこの通りなのだ。でも、読む前にどんな本かな、と思って読んでみても、わかりにくい? 栗原裕一郎の解説は、先に読んでしまうとかなりネタバレかもしれない。その解説の中でディストピア小説、と書かれていて、あ、これはディストピア小説なのかな、と、言われて気づく。物語の舞台であるオーセルという国、首都のボッカと、オリオノ・エンダの故郷である田園地帯以外の場所は出てこず、世界の中での存在感とか、国の規模とか、そういうことは何もわからない。圧倒的な支持率を誇る女性首相ミタ・ジョズが、性の自由化を標榜し、LGBTQがヘテロセクシャルによって差別されたり迫害されたりすることのない社会を作り上げたのだが、結果として、その社会は、ヘテロセクシャル(異性愛者)にとって居心地の悪い、暮らしにくい社会となってしまっている。
多様性を受容する、というのは難しいことだね、と読んでいて思う。他人の生き方在り方をそのまま受容し、誰もが居心地のいい世界を作ることの難しさ。同性愛者が圧倒的多数となり、男性は精子スパームバンクにスパームを提供し(一人当たり最大10名分のスパームまでしか受胎してはならないというルールあり)、それを代理母が出産することで、オーセルの人口は維持されている。
精子スパームバンクを占拠したテロで異を唱える2人の大学生、そのスピーチに胸を掴まれた大学生ビイ、ビイがこよなく愛する歌手アラフネ・ロロ、この4人と、彼らを取り囲んだ人々の言動を時系列を乱しながら緻密に描写していくことで、このディストピアの矛盾や謎が解き明かされていく。
価値観の転換した社会にもその社会なりの矛盾があり、受け入れがたく苦悩し、場合によっては直接的間接的に迫害を受けている人がいる限り、そこはユートピアとはならない。
理想を追求した社会が、ある人たち(往々にして小説の主人公や主要登場人物)にとって違和感のあるいびつな世界である、というところから、ディストピアの露悪が始まる。それは、フェミニズムや性的多様性が圧迫されがちな、現在わたしたちが生きる世界への静かな告発になっている。

首都とそれ以外の地域の場所の価値観の相違、みたいなものは詳述されないが、ミタ・ジョズの支配力は一体どのような形でこのオーセルにあまねく行き渡っているものなのか、判然としない。この小説が描いているディストピア的な状況は実は幻なのか、という気もしてくる。首都に(自発的に)閉じ込められた人だけが、この不思議なディストピアにいるのか? 描かれていない部分に大きなうねりを感じる。
おおやちきの表紙も印象的。

一作だけで判断することは出来ないので、引き続き、小谷田奈月作品を読んでいこうと思う。

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