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山本文緒『自転しながら公転する』(毎日読書メモ(364))

昨年10月18日、山本文緒さんの訃報に触れ、唖然としてから9ヶ月もたってしまった(当日の気持ち)。ようやく、『自転しながら公転する』(新潮社)を読んだ。ずっしり充実の478ページ。

「小説新潮」に連載し、単行本化するときに改稿し、かつプロローグ、エピローグを追加したらしい。この未来、というか現在?、を書いたプロローグとエピローグの追加により、物語の本筋に変更はないが、読者を愉楽の世界にいざなう引き締まった構成となったと思う。この「未来」に向かって、物語がどう進むのか、ドキドキしながら読み進めた。

森ガール的ファッションに魅入られ、高校を出てお気に入りのブランドの店でバイトを始め、社員に登用され、東京で暮らしていた都は、仕事も恋も転換期に来ていた時期に、重症の更年期障害に苦しむ母を、父一人では看病しきれなくなったと連絡を受け、家族で相談した結果、茨城の実家に戻ってきた。会社は辞め、近くのアウトレットモールで、自分のテイストとは違う、きれいめカジュアル服の店で契約社員として働くことに。
同じモールの中にある回転寿司の店の職人貫一とふとしたきっかけから口をきくようになり、いつしか付き合うようになる。

とストーリーを書いてみて、実はこの結構長い小説が、実は上に書いた枠組みの中でじっくりじっくりと展開されていた、ということに、書いてみて驚いた。奇想天外などんでん返しなどない。幾つかのテーマがあり、それらのテーマが深く掘り下げられ、都の、貫一の、都の両親の、都の友人や同僚の生き方がしっかりと展開され、それぞれに決断していく姿が潔い。

お仕事小説として、服を売るという仕事について丁寧に書かれているのが興味深い。また、服を売ることを仕事にする人は、自分自身が服を買うのが大好き、ということがよくわかる。もともと好きだったブランドの服を何年も丁寧に着て、今いるショップの服は、職場で着る用に自腹で買ってクローゼットの中で「制服」として吊るされている。自社ブランドでない服を着て店に出ていると、本社から来たマーチャンダイザーに注意されたりする。突然思い立って断捨離しても、いつの間にかまたクローゼットからあふれる位に服が増えている。
前に、〇ニクロでバイトしていた人に聞いた話だと、やはり、店内で着る服は自前で〇ニクロで買わなくてはいけないのだが、お客さんにその服売り場のどの辺に置いてありますか、と聞かれたときに、もうありません、と答えることは出来ないので、バイト入りたての頃は可愛いのを選んで買っていたのが、だんだん、一番売れ残りそうなものや切らなさい定番ものばかりを買って着るようになった、と言っていたのを思い出した。
職場のハラスメントの話やコンプライアンスの話も今日的でどんよりとする。逆に、友達との飲み会とかデートとかのときに何を着るか、一生懸命考えているシーンの描写も、小説に深みを与えている。

また、母桃枝の更年期障害と鬱症状の話も、身につまされる思いで読む。小説の中でも書かれているが、更年期障害は個人差が大きく、殆ど苦しまない人もいれば、身体的にも精神的にも苦しい状態が長期間続く人もいて、なかなか他人に理解して貰えない。この小説は大半が都の状況説明として書かれるが、一部、桃枝の状況説明の章があり、一旦襲われてしまった症状から、自分の才覚や発想の転換だけで脱出することの困難をリアルに感じさせてくれた。自分が苦しんでいると、他者に対して優しくしたり思いやったりすることも困難になるが、この物語の中で流れた時の中で、桃枝もその夫も、新たな決断をするだけの力を持つに至ったことを示してくれる。

ライフスタイルを定義する小説でもあった。父親が仕事に励み、母親は家を支える、という昭和の価値観にはまった中で育ってきた都だが、そんなに結婚とか出産とかについてきちんと展望は持たず、その日暮らし的な生き方を続け、久々に親と同居することになったら、父とぶつかるようになる。付き合うようになった貫一は典型的な田舎のヤンキーで、元々親元で育っていた時代から、同級生などでヤンキー的な生き方をしている人とは相いれない、と思っていた都と、価値観の合わない部分でぶつかったりもしてきたが、一方で、都より深く物事をとらえている面もあり、謎めいたところも多い。貫一の生き方、がこの小説最大のミステリーかもしれない。
小説の最初の方で、都が貫一に、自分の置かれた状況を説明していて、幾つかの相反する感情をもてあましてぐるぐるした気持ちになる、と言うと、まるで地球が自転しながら太陽のまわりを公転していて、更に太陽系全体が銀河系の中でぐるぐると動いている、そんな風に都も自転しながら公転してるんだな、と貫一が言う。途中で何回か、混乱している都を見ると自転しながら公転しているね、と言うのだが、確かに誰もが自転しながら公転してるんだな、と宇宙の中での自分の立ち位置をイメージしてみたりもした。そう思うと誰もが孤独なような、でも近くで誰か親しい人が光っているような、そんな気持ちに。

幸福を定義するのは難しく、この小説に登場した人々誰もがハッピーエンドだったと言うことは難しいが、それでも、この小説は明るい。作者が登場人物たちをいつくしみ、それぞれにとってよきことを与えてくれている、そんな印象を与えてくれる、いい小説だった。

今更言っても仕方ないけれど、もっともっと山本さんの小説を読みたかった。人それぞれが矛盾を抱え、誰かに優しくしてあげられなかったりしても、それでも、愛おしいと思う気持ちが相手を救い、自分を救うことを教えてくれる、そんな小説をもっと。


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