佐藤厚志『荒地の家族』(毎日読書メモ(479))
芥川賞を受賞した、佐藤厚志『荒地の家族』(新潮社)を読んだ。前作『象の皮膚』(感想ここ)に続き、「新潮」に掲載された小説の単行本化。
仙台在住の佐藤にとって、東日本大震災は向き合っていくべき大事なテーマであるようだが、アプローチは、ちょっと遠巻きにして、少しずつにじり寄っていくような印象。今作の主人公坂井祐治は、宮城県亘理町で植木屋を営んでいる。阿武隈川の河口の、海沿いの街。ここも震災の被害の大きかった場所だ。
大学を出て、造園業者に就職し、庭造りの仕事に就く。「たいして考えもせず、造園業の道を選んだ。植木にも庭造りにも土木工事にも全然興味がなかった。ただ商品や広告やサービスを売りあるく仕事をしたくないと思っただけだった」(p.43) 特に企業研究をして就職した訳でもなかった造園業者で、毎日きつい労働に従事し、時には暴力も受けた。それでも、黙々と仕事を続け、今は実家をベースに一人で植木屋の仕事を請け負っている。震災の直前に独立したが、膨張した波に、倉庫とトラックをもっていかれてしまった。大学時代に知り合った妻は子どもを産んで数年後(震災の少し後)、高熱で死去し、その後再婚した女は流産をきっかけに家を出ていき、今は接見禁止状態。同居する実母とも、小学生になった息子とも、うまい距離感がとれていないもどかしさ。昔からの友人との関係、一人だと作業がきついからと雇ってみた若いもんとの関係。うっすらと暗い閉塞感は、震災と関係があるのか、ないのか。時々挿入される、震災時の記憶。どこにも行けないまま死にからめとられていく人。状況が淡々と説明され、祐治の感情はそぎ落とされた形で描写される。悲しみとか怒りとか、祐治の情動は単純にカテゴライズすることが出来ない。どこにも行かない感情と、祐治はそこでずっと生きていくのか。
タイトルに入っているだけあって、「家族」を強く感じさせてくれる小説だった。別に家族愛とかそういう感じでもなく、でも家族関係の不全ともちょっと違う。たぶん祐治にも、母にも、息子にも、理解出来てない、というか理解しようと思っていない、そこの空気感が、彼らを目に見えない形で支え、救っているのかもしれない。またいつか大きな地震があっても、津波がきても、耐えられる力が。
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