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力に対する恐怖と畏怖と嫉妬と羨望
「この人は殴る人かも」とか「この人は今は平気そうだけど言動から察するに殴るようになってもおかしくなさそう」とか。
他人、特に男性をすぐにそういう軸で観察してラベル分けをしてしまう。
殴る殴られるに囚われてすぎている。
それはそれである程度仕方ないというか、そのふるい分けをするのは正しいと思うし、盲目的になりたくはないとも思う。
ただ、その考えや態度って、受け身すぎない?って、昨日はじめて気がついた。
暴力的な人に出会っても逃げないとか私が矯正するとかそういうDVどハマりな思考じゃなくて、考えや判断の主軸を相手から自分に取り戻す、ということ。
つまり、相手が「殴る人」かどうかではなく(一生誰も殴らないに越したことはないけど)、それだけじゃなくて、「いかなる人にも殴らせない自分」をつくればいい、みたいな。
万が一、億が一、殴られても、「殴られない環境(≒逃げ場や居場所)」を自分でつくれるようになればいい、みたいな。
要するに、「殴る人からも殴られない人」になればいい。
それでもきっとどこかで私は凌辱されたいというか力で圧倒されたいというか、かわいそうな私でいたいみたいな、そういう願望というかそこに慣れてしまっている部分があって、そこを認めたうえでどうにか処理しないと、親の二の舞いを演じるハメになってしまう。
「殴る」という身体的暴力をここで使ったのは分かりやすくするためであって、暴力全般を私は避けたい。
殴る蹴るだけでなく、精神的にも金銭的にも私は迫害や搾取、束縛などをされないで生きてゆく。
親とおなじ轍を踏まないためにも。
なんだかガチガチフェミニストかよみたいなポストになってしまいそうなので、生活力アピールのためにも昨日の晩ごはんを紹介します。
これらは一昨年くらいから定期的に利用するレシピで、お魚の大葉春巻きと鶏団子スープです。
お魚はいままでアジやイワシなんかの青魚でつくることが多かったんですけど、昨日は初めてタラでつくりました。実は背の青い魚があまり得意ではない私にはこっちの方が500億倍食べやすかったです。
なぜ今まで無理をしてきたのか……。それは青魚は体にいい!というワイドショーみたいな知識が私の脳内に蔓延っていたからで、どれだけチーズでごまかしてもやっぱり苦手なものは苦手でした。これからはあっさり諦めて美味しい白身魚にシフトします!
スープは手抜きのシャンタン。鶏団子をつくるときに卵白と片栗粉を混ぜて、他の具は写真だと見えづらいですが新玉ねぎ丸々ひとつとたっぷりの春雨を入れてあります。新玉ねぎを青菜に変えたり、スープを豆乳ベースにしたりしても美味しいです。ヘルシーオイシーメルシー!って感じですね。
今日も良い一日を!
早起きするとかならずお腹を壊す私の胃腸、繊細すぎませんか?
(投げ銭に挑戦してみます。無視してくださっても平気です、ただの実験なので……。)
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