ほどほどを知る事
自分の完璧が決して第三者にとっての完璧ではない。
せっかくよい角(カド)がある創作物もヤスリをかけ過ぎてしまえばその角は取れて丸くなってしまう。そして、最後には削りカスの山を積み上げ跡形もなくなってしまう。
こうして多くのクリエイターはヤスリをかけ続けているうちに作品を世に出す機会を逃してしまう。造形物にしても言葉にしても同じことだ。
ヤスリはほどほどでいいのだ。角を丸くすれば美しいわけでもない。
そう言うと、今度は完璧を目指さない言い訳として機能してしまうから着地点は難しい。
以前、作詞家としての僕のプロフィールに似た文言を書いたら事務所から「誤解されるから少し変えた方が良い」と指摘いただいたことがある。
「“言葉のヤスリがけ”は、ほどほどにしています」という意味合いが、クライアントからすると精度を突き詰めていないと誤解を招きかねないからだ。
もちろんそんなつもりは一切ない。
作品における多少の雑味は人の心を引っ掛ける大切なフックだ。そのフックまで削ってしまうと、見た目は美しいのだが後に残らない。灰汁と旨みは紙一重。灰汁の取り過ぎは良くないように。
どこでヤスリを持つ手を止めるか。本当にその角まで丸くして良いものなのか?
大切なことは、ほどほどを知る事である。
それは同時にとても勇気が必要な事でもある。