エンドケイプ

エンドケイプです。 作詞家で文章も書きます。

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[小説]六号

1  マオは慣れた手つきで薄く切った小さな肉の塊を素早く鉄の串に刺し終え銀色のトレーに置くと、吊り下げられている青いタオルで手を拭った。手についた血や脂を丁寧に拭うというよりも軽くタオルに触れているようにしか見えない。拭う必要性よりも儀式的作業みたいだ。  そして今度は塩を摘むと、既にガスの焼き台に並べられていた羊肉串に向かって無造作にふりかけた。適当にも見えるし適量にも見える。炎が肉を呑み込むように高く上がる。  あたしはそんなマオの流れるような動きを観察するのが日課にな

    • 幸せを感じる行為

      洗濯機を新しく買い替えた。 洗濯機を替える事は、僕にとってかなりの幸福感を得る行為だ。 人生において洗濯機を買い替える回数なんて知れているからかもしれない。 でも、冷蔵庫を買い替える時よりも、洗濯機を新しくする方が遥かに新鮮な心持ちになる。新しいパジャマに袖を通して眠るような、そんな気持ちだ。 理由は判らない。

      • 新規参入者の気持ちをへし折る原因

        どんな趣味でも新規参入者の気持ちをへし折る原因のひとつが、古参の不必要な指摘や余計なアドバイスだと思う。 僕も含めて新しい方が参入しにくい理由が自分にあるかもという意識を常に持つ事が大切。 あなたの趣味のコミュニティでも似たような経験をした事があるかもしれない。言われたり、逆につい言ってしまったり。 ルールを守れば趣味の価値観は自由であるべきだと感じる。 自分の知識マウントに捉われず本当にそれが「大切な助言」か「余計な助言」かを発する側は一度立ち止まって精査して送信するべ

        • 他責と自責

          何事も人のせいにするのは簡単だ。 問題のエネルギーを他者に委ねて自身の責務を終えてしまうのだから。 悪いのは自分ではないという着地点にもなる。 かたや、あらゆる事柄を自分のせいにする人は、問題の根源となるエネルギーを自分の中に持ち続けている。どうすれば同じ過ちをしないか考える。 他責するのは楽ちんである、なぜならそこで考える必要がなくなるからだ。バトンを渡してしまうからこれ以上走らずに済むし、周回遅れなのも今走っている人のせいに出来る。 自責するとバトンを握ったままだから

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        [小説]六号

          与えられた仕事(ショート・ショート)

           今日も僕はその椅子に座る。  一度座ってしまえば業務が終わる時まで、立ち上がる必要はない。  それが僕に与えられた仕事だから。   役所の三階まで吹き抜けになったエントランスロビー、その中央の太い柱に一枚の絵が飾られている。質素な木枠に入った十号サイズの風景画だ。手前に小川が流れその奥に連なる山々が水彩で描かれている。ただの景色だ。タイトルや作者名が記入されたプレートもなく、サインも見当たらないその絵はいつ誰が描いたのかもどこの場所なのかも判らない。地元の著名な画家の作品

          与えられた仕事(ショート・ショート)

          ゴジラ-1.0で思う事

          マイナスワンのマイナスカラー(モノクロ版)4DXを観てきました。 劇場鑑賞は3回目です。 モノクロなんだから当たり前ですが、たくさんの黒と灰色が織りなす作品で、カラーだと気に留めなかった風に舞う火の粉をついつい目で追ってしまう、なんてこともありました。 白って200色あんねんって言うとアンミカさんが脳裏に浮かびますが、モノクロ映画を観ると確かに白と黒の幅の広さに圧倒され、逆に制限された情報量によってカラーにはない奥深さも垣間見えたりしました。 それはそうと、やはり改め

          ゴジラ-1.0で思う事

          ほどほどを知る事

          自分の完璧が決して第三者にとっての完璧ではない。 せっかくよい角(カド)がある創作物もヤスリをかけ過ぎてしまえばその角は取れて丸くなってしまう。そして、最後には削りカスの山を積み上げ跡形もなくなってしまう。 こうして多くのクリエイターはヤスリをかけ続けているうちに作品を世に出す機会を逃してしまう。造形物にしても言葉にしても同じことだ。 ヤスリはほどほどでいいのだ。角を丸くすれば美しいわけでもない。 そう言うと、今度は完璧を目指さない言い訳として機能してしまうから着地点は難しい

          ほどほどを知る事

          でも

          「でも」と言わないだけで、割と人生は変わると思う。

          トゲトゲ

          自分のからだにトゲトゲをつけていたら、周囲の人は触れたくないから遠ざかるし、近寄る人は対抗するために同じようなトゲトゲをつけてしまう。 何ひとつ良いことなんてない。 何ひとつ。 SNSの世界なんて、みんなモフモフしていればいいんだ。

          大丈夫

          知らない地下鉄の駅構内を彷徨っている。 しかもとてつもなく眠い状態でうとうとしながら歩を進めている。 まるで夢遊病者のようだ。 そんな自分に言いたい。 大丈夫。 それは夢の中だ。僕はとっくに眠っている。

          自信過剰

          自信過剰は比較的ネガティブな意味合いで使われることが多い。 根拠のない自信は持つべきではない、と。 でも、人が何かで成功する要素のひとつとして根拠のない自信がとても大きな役割を果たしていると思っている。 それに対して中身が伴っていようがいまいが、形成された自信というその力で目標まで走り続けることができる。 だから、僕は自信過剰な人を否定しない。 例え殻だけの空っぽなポジティブ思考でも、ポジティブに変わりはないのだから応援したい。そもそも殻がなければ中身は生まれないのだから

          自分のために何かをやる意味

          自分のために何かをやる意味 それは他人のために何かをしようとするからだ。 “自分のため”と“他人のため”は、人と、そこに張り付く影のように決して分離できない関係性を持ち合わせている。

          自分のために何かをやる意味

          全ての蚊は人工的に作られたロボット兵器

          タイトルで本文にきてしまった人も多いと思う。すまんね。 このように、例えばSNSで誰かが「蚊は人工的に作られたロボット兵器で日本にばら撒かれたんだ」と投稿したとする。 ん? 君は何を言っているんだ? とまず感じるのが普通だと僕は思っていた。 が、コメント欄にはそれを肯定する言葉が溢れていたりする。 「やはりそうだと思っていました」「知りませんでした、家族にも伝えます」などなど。なんなら「それはアメリカが作った」みたいな尾ひれがくっつき勝手にインターネットの大海をバシャバシ

          全ての蚊は人工的に作られたロボット兵器

          なんてことを簡単には言えない

           過去の“後悔”は未来の“後悔”じゃないし、  過去の“恨み”は未来の“恨み”じゃないし、  過去の“マイナス”は未来の“マイナス”じゃない。  だから、いつまでも過去を引きずってはいけない。 ーなんてことを簡単には言えないー  時間が“線”ならばココロは“点”である。  時間は僕らのまわりを常に流動している。  でも、ココロにはまるでタイムカプセルのように時を止め放置された幾つもの容器が転がっている。誰もがそんなタイムカプセルを胸の奥に埋めている。  僕にもあなたにも

          なんてことを簡単には言えない

          室外機に人権を

           突然だが、  エアコンの形をパッと想像してみてほしい。 どうだろう。  おそらくほぼ全員が、部屋の天井の片隅で冷風や温風を出している“室内機”を思い浮かべたのではないだろうか。  それは正解。あなたは何も間違ってはいない。 -だが、しかし-  忘れないでほしい、エアコンはその“室内機”の他にもうひとり、“室外機”がいるということを。  そもそも現代社会における我々の暮らしの中で切っても切れないとても大事な部分を占めているエア・コンディショナーであるが、そのエアコンを

          室外機に人権を

          既視感の正体

           僕は街を歩く夢をよく見る。  それも決まって同じように遠い昔「実家」があった東京都世田谷区の街だ。  もちろん知らない街よりも、記憶の片隅に残る街の方が、夢にとってもわざわざゼロから作り出す必要もなく好都合なのかもしれない。  街の雰囲気も構造も、そして実家もおおよそ丁寧に再現されているのだが、いざ目覚めてから思い返すとやはりその細部には違和感があったりする。  ここにそんな高いフェンスはおかしいだろう、あんなところに扉なんてある訳がない、そういえば狭い五丁目商店街にやた

          既視感の正体