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恵那川上屋のミッションと、この考えに至った「気づき」

今回は恵那川上屋のミッションと、この考えに至った「気づき」についてお話いたします。

23歳になった私は、色々な個性を持つ方々と働きたいと感じ、表参道の「カフェドロペ」に就職しました。

当時注目を集めていたカフェで働く方々は私の想像通り、豊かな個性を持っている方々であったと共に、「役者の卵」、「花開かないドラマー」など、私の想像以上に多くの夢と輝きを持つ人たちが集まっていました。

そんな人々に囲まれ、自分の将来や夢を描いている最中、家庭の事情で恵那に呼び戻されることとなりました。

戻った私は和菓子の勉強をするために本家で働かせていただきながら、家庭内の問題を一つずつ解決していきました。

多事多端な日々を過ごし、問題の解決の目途がついてきた時、安堵からなのかはわかりませんが、次に自分が成すべきこと、自分が今後どうしていくのかさえも見失い、鬱々とした気持ちを抱えながら自問自答を繰り返していました。

私は2代目ですが、なぜ継がなければいけないのかまで考え込んでしまったのです。

ある日、叔父と会合に同行した時のこと。
おばあちゃんたちがお手製の漬物や煮物を出してくれました。

それからは会合に行く度に食事を出してくれたのですが、テーブルに並ぶ品は、春は朴葉寿司、冬には干柿など、地元で採れた野菜や地元の食文化を色濃く感じる美味しい手料理の数々。

ここで気づかされたのが、

コンビニも八百屋もないこんな田舎でも、「農業と食文化、それを生み出す感性」があるということ。

そして、これが発展したら地域は良くなっていくのではないかという「気づき」でした。

「それに風を吹かそう。これを私が目指す目標にする」

と決め、父と話し、横井照子画伯と約束した「栗を照らす」という話を紡ぎ、超特選栗生産者とのイノベーションが始まりました。

「長男だから後を継ぐのが当たり前」という時代の中で

「2代目にも継ぐ理由が必要である」ことに気づき、自分の中の天秤が大きく傾くのがわかりました。

鬱々とした霧は晴れていました。

もう言い訳はできません。

【自分の責任において決めたことを全うする】と覚悟を決めました。

風味(食文化)・風土(農業)・風景(芸術=感性)

この3つの風を吹かせる事が恵那川上屋のミッションなのです。

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