あらゆる角度から見つめ、見いだしていく新たな可能性と価値
栗の収穫が落ち着き、生産者は来年に向けて早くも動き出しました。
畑に感謝を込めてお礼肥をした後、栗の木の剪定が始まります。
10ヘクタールほどの団地で一人黙々と剪定をしていると「無音」の時間を経験できます。
静まり返った畑の中で鳥の声や、風の音を感じ取り、「無心」になって創造しながら、作業をしています。
時折現れる生産者仲間が、
「おい、どうや、今年は早く終われそうか」
などと話しかけてくれます。
そんな時、「無心」の私に、なぜか「人の温かさ」を感じ取ることができます。
「人っていいなあ」と感じる瞬間は、田舎の畑の中でもしっかり受け止めることができるものと気づくことができ、競争やしがらみ、批判や否定。
自分に対して反省する所まで見えてくる点です。
「競争」から「共創」の時代に入っていくための扉は目の前にありました。
たくましい栗の木を見ていると、和をもって地域同士が支えあう、新たな思考も芽生えてきます。
栗の鬼皮は中を取り除いてから処分していました。
おかしな大地(恵那山ファーム)では気流粉砕の設備を使い、鬼皮の粉を材料化できないか模索しています。
すでにサブレ等の一部焼菓子には、ポリフェノールを多く含んだ栗の粉を加えています。
剪定枝は薪用として使用され、火が長持ちすると評判です。
イガは燃やして灰にし、陶芸に使っています。
残るは大量の葉です。
野辺山の生産者がわざわざ山に行って枯葉を大量に確保し、馬の糞と、菌床シイタケの廃材などを加えて、畑にまき、キャベツや白菜などの葉物野菜を大量生産しています。
畑を山に戻す技術を使い、成功されていました。
あらゆる可能性によって新たな価値を見いだせれば、生産者の収入アップにつながり、相場で決まる価格ではなく、価値ある価格を見つけ、共有することができると考えます。
あらゆる角度から栗の可能性をこれからも模索していきます。