「許し」って何?
『蜘蛛の糸』の続きです。
「罪」とはなにか、を考えるときに、関連して出てくるのが、
「許し」とはなにか、だと思うのですが、
「許し」って、なんなんだろう。
小さな迷惑なら、「ごめん!」って謝られたら「いいよ」って許すは難しくないのですが、
それがとても大きな迷惑の場合、なかなか「いいよ」って言うのが難しくなるように思います。
なんでなんだろなぁ。
自分のことを考えてみると、
私が許せないときって、
相手が、「そもそも悪いことしたと思っていない」パターン、
「悪いことしたと思ってはいるけど、それほど大きな事だと思っていない」パターン、
「そもそも人を傷つけることが目的の悪意あり」パターン
がありそうに思います。(この3パターンだと、再発の可能性かなり高い)(次も同じことするよね、って人を許すのが難しいのかも私)
なんで自分がそういう行為をしてしまったのか。
再発防止をするためには、どんな工夫をすればいいのか。
が、きちんと言語化できている人だったら、しかもそれが的を射たものだったら、相当大きな迷惑でも許せるかもです。(命や尊厳を脅かす級の迷惑も世の中にはあります)(そこまでいくと、迷惑というか、犯罪だけど)
で、カンダタに戻って考えてると、
カンダタが、今回の件で学びを得て、自分の行為を理解し、再発防止のための言語化ができるか、というと、
相当難しいだろな、と。
そもそもなんで蜘蛛の糸が降りてきたのか、なんで切れてしまったのか、理解できないだろうしなぁ。(そこが理解できるくらいの人ならそもそも地獄の底まで落ちてない)
なので、個人的には、お釈迦様の今回の件は、
「救い」というより「お試し」だと思いましたし、
「お試し」にしては相当ハードモードな「お試し」だと思いました。(クリアしなきゃならないことのレベルが高すぎる)(あかんな、と思ったら速攻糸切りますからねこの人)
もうちょっと慈悲をかけてあげてもいいんじゃないかと思いましたが、(カンダタくんが、なぜ自分が地獄にいるのか理解できるよう)
ただ、ハードモードに突き落とすタイプの慈悲だったのかもしれません。
個人的な『蜘蛛の糸』の感想は、
お釈迦様ってスパルタだなぁ。
です。
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