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見ることは、見つけること。


今朝も空を見上げて歩きながら、これは言葉でどう表現したらいいのだろう、と考える。

うすい青とオレンジが混ざり合って、こんな飴あるよなぁ、なんて思う。
そして空に青とオレンジのグラデーションを見るとき、小学校の図工の時間に作った小物入れのことを、必ず思い出す。


厚紙で、星の形(難しかった…)の入れものを作った私。
本体にすっぽりかぶせるフタつきの箱で、外は青、開けた内側はオレンジにした。
そのときは、なんだか変な色の組み合わせになっちゃったなぁ、と思ったのを覚えている。


大人になって朝焼けや夕焼けの空を見るとき、いつもこの箱のことを思い出すのです。
なんて素晴らしい色の組み合わせだろう、と今は思っている。


かつて住んでいた大好きな街。
建物のあいだに見えたある日の夕空が、本当にあのときの箱の色だったのも、まさに今思い出した。

なんだろう、思いがけずセンチメンタル……笑



キッチンの片隅に、読みかけの本がいつも。


見たものを言葉にするのは、遊びのようなものであり、訓練のようなものでもあり。
自分の言葉なんてたいして出てこなくて、うぅぅ…と語彙力と想像力のなさに、ひとり苦笑い。


そういえば、見る、で思い出したことがあり、本棚からひっぱり出してみる。
松浦弥太郎さんの「伝わるちから」。


見るというのは、見えているものを、単に目に写してわかったつもりになるのではなく、ぱっと見では見えない、かくれているきらきらした輝きを、いかによく見て発見するかである。すてきなことや美しいこととはそうやって見つけるものだと思っている。

きらきらした輝きが見えるか見えないかは自分次第である。
もちろん何も見えない時もある。けれども、見えないからと言ってそこには何もないと決めずに、自分の目をもっと磨いて、いつかよく見えるようになりたいと思う。

「見ることは気づくこと」より



そこから、今日働きながら仲間に話したことを思い出す。

私は、お客さんの目線だけでなく、いっしょに働いている仲間の目線をすごく見ている。
見ていると、わかる。
たとえあいさつの声が出ていても、そのスタッフがただ目に写しているだけなのか、ちゃんとお客さんに心を向けているかどうか。

それも少し、松浦さんの話に似ている、と思う。
心を向けて見ようとすればわかることがあるし、うれしいきっかけができることもあるもの。


次また来てくれたときにその人のことを覚えている、というのも見ていてこそ。
それは、私が最も大事だと考えていることでもあって。



…なんだかちょっと立派なことを言ってしまったけど、私もそれができるように日々ていねいに真剣に、と改めて思った次第です。
(話がなんだかあっちこっちに飛んじゃったけど。)


今日も読んでいただいて、ありがとうございます。



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