
極上の緊迫感 『No Country for Old Men 血と暴力の国』 エンマのゆるふわ評論 第6回
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隔週土日開催 エンマのゆるふわ評論
エンマのゆるふわ評論とは...
隔週土日曜日に行う評論、批評記事。
対象は小説、映画、漫画、ゲーム、音楽...etc
自身が見て聞いて読んで、思ったことを内省し思いを吐き出すコーナーです。めちゃくちゃ作品を専門的に詰めるよりは、ゆるふわに楽しくやっていくつもりです。平日書いている文章よりも文字数は多め。
第6回はコーマック・マッカーシー作
『No Country for Old Men 血と暴力の国』!!!

映画版もちょっと話しますが、主に小説版のお話をします。
よろしくお願いします!
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はじめに
日本では原題を略した「ノーカントリー」という名前で広く知られているこの作品。映画版が有名だよね。特に、アントン・シガーを演じるハビエル・バルデムの演技がめちゃくちゃハマっていて、その怪演のおかげか映画のサイコパスキャラを挙げるとシガーは毎回出てくる印象がある。
映画がかなり良かったので、小説版を購入。映画との違いや、映画を1回見るだけではわからなかった「この作品が伝えたかったこと」などを押さえて読んでみることに。
いや~、小説版もなかなか味わい深い。映画で感じられた緊迫感、空気が張り詰めて息をするのも億劫になる感じが良い!
発行所は最新の早川書房ではなく、少し前の扶桑社。表紙がカッコえぇからね。題名も「No Country for Old Men」よりも、「血と暴力の国」が前面にきている。早川版とは訳などが微妙に違うかもしれないので、ご了承をお願いします。
では早速語っていきましょう。
(4900文字あります)
これより、小説『 血と暴力の国』 映画『No Country for Old Men』の
ネタバレがあります!!!
1,映画と小説の違い
映画と小説で違う場面が何個かあった。映画では描かれているが小説で描かれていないもの、またその逆も。前者の方が多い印象だった。
映画でよくシュガーが行っている行為として、ブーツが血で汚れるのを避けるというものがある。カーソン・ウェルズの殺害や、カーラ・ジーンを殺した時に行っていた。
シュガー自体が、自身のルールに則って行動する殺し屋であるため、この行動はシュガーのその異様さを表現する上で良い演出であったと思う。が、小説にそれはなかった。上記のキャラの殺害シーンにも、ブーツの汚れを気にする行動はしない。映画オリジナルと言うことだが、なかなかいい演出だと思う。
原作のキャラクター像は壊さず、うまくシュガーのやばさを引き上げている。映画版は、こういったオリジナルシーンを作るのが上手いように感じた。驚いたのは、ホテル・イーグルでのモスとシュガーの銃撃戦がまるまる小説版には存在していなかったこと。
あのサシでショットガンを撃ち合う、ハラハラのチェイスはなく、小説ではモスへのシュガーの発砲をきっかけに、メキシコ人も介入した乱戦になる。その途中でシュガーもモスも傷を負い、2人とも治療をするあの流れになる。
小説ではそれでも問題なくハラハラするし、何ならメキシコ人がここで介入することで、モスがメキシコ人に殺されたことにも納得することが出来る。しかし、映画では絵的に寂しくなってしまうためか、あのようなショットガン一本勝負になっている。これもいいオリジナルさだと思う。上手い。ん、映画褒めてねぇか?
2,小説版で保安官ベルの良さに気づく
この作品の優れているところとして、魅力的なキャラクターが挙げられる。めっちゃキャラ立ちしているシュガーや、モスという主人公感全力なキャラクターなどがそれにあたる。
だが俺が推したいのはベルだ。映画ではあまり出てこず、モスが退場してから急に存在感を出し、よくわからんことを言って終了って感じだったため、ベルが脇役なのか主要人物なのかが分からなかった。
しかし、小説ではきっちりベルの心情や行動が描かれ、この作品の主人公は保安官ベルであることが分かった。この気づきは中々にデカく、題名の意味や、この作品が言いたかったことを理解する上で大きな働きをしてくれた。ベルは本当に重要なキャラクターだ。
ということで、この見出しでは(自分的に)映画では理解できなかった、ベルの魅力について語る。
まず、この小説は13の章に分かれている。そして、すべての章はベルの独白から始まる。映画では冒頭で、「最近の犯罪は理解できない」といった感じのベルの語りが入るが、あれが章が変わるごとに入る。これが良い。映画ではわからなかったベルの心情が理解できるし、その上で始まるモスとシュガーとのチェイスに温度差を与えてくれて、よりあの逃走劇が映える。
ベルの独白はほとんどすべてがアメリカの血なまぐささを読者に提示するものになっている。「アメリカは血と暴力の国だ。老人のいる国ではない。」という内容の独白を重ねて伝えてくるため、タイトルを連想することが出来る。
モスとシュガーのチェイスが主となる前半では、語り手?というか問題を常に提起する存在であったベルだが、モスの退場後、主人公として一層存在感を放っていく。
章が始まる前の独白で何回か、戦争から帰ってきて勲章をもらった話、死んでしまった娘の話をすることがあった。まあただ、前半ではその話もすぐに終わり、相変わらず血と暴力の国であるアメリカの現状を嘆いていた。
しかし、モス夫妻が死に、シュガーを取り逃がし、「もうだめだ、ついていけない、保安官をやめよう」と思ったベルは叔父さんと話をしに行く。ここがめっちゃいい。映画でもこのシーンは存在していたものの、急にベルが自分の体験した戦争の話をするもんだから、「何言ってんだ?」って感じだったが、モス夫妻死亡の一連の事件と自身が思い悩んでいたこと(章のはじめにある独白の内容)が小説で明るみになっていたことで繋がり、ベルの人間像を脳内で形作ることが出来た。
ベルは自身が仲間を置いて戦地から逃げ出したこと、それで勲章を手に入れたことについて後悔していた。勲章を見えないように引き出しの中にしまうほどには。ただ、物語の最初ではそのことについて全く触れなかった。なんなら、4章の独白では「俺は運が良くて、神様が微笑みかけてくれている」とまで言っていた。
モス夫妻とシュガーの一連の事件によって、心の中にあった本当の気持ちが表面化し、叔父との会話の後、つまり10章のはじめにある独白で、すべてをさらけ出す(事実ここから独白のページが多くなる)
この変化がベルというキャラクターに非常に人間味を持たせている。
例えば、ここ。
なぜ何十年もたったあとで例のことが気になり始めたのかと叔父に訊かれたときおれはずっと気になっていたんだと答えた。ただ、ほとんどのあいだ無視してきただけだと。
あとはここ。
おれは死ぬべきだったのに死ななかった。もう一度、あそこに戻りたいという気持ちは俺の中で消えたことがない。でももう戻れないんです。人が自分自身の人生を盗んでしまうことがあるものだとは知りませんでしたよ。盗んだ人生なんて要するに泥棒が盗んだ品物と同じだけの値打ちしかないってことを知らなかった。
この作品でスポットライトを浴びるのは、モスとシュガーの手に汗握るチェイスであるのは言うまでもない。しかしベルの、保安官としての生き方の模索や、アメリカという人に優しくない国でどうすればいいかわからない老人(Old Man)の困惑、そして自身が逃げていたことを自覚しようとするところ、これらはかなりの見どころになっていると自分は思う。
3,この作品が伝えたかったこと
なんていうかバランスが良い作品だと個人的には思っている。前半はアクションとかハラハラドキドキが好きな人が刺さるし、後半は自分自身との闘い、純文学的な気質がある。その両方の栄養を摂取できる。カテゴリ分けしにくいが面白い作品だ。
ただ、一方でどっちつかずなところがあり、犯罪小説やノワール作品と言うにはアクション性が強く、そんでもってアントン・シュガーというキャラが濃すぎる。
作中でマモン(悪霊に見立てられた富)の話があるが、まさにそれで、なんというかシュガーは、人と言うか悪魔と言うか、神がかった存在だ。フィクションっぽい。
モスの視点から現実の残酷さとか、どうにもならない閉塞感も感じさせるのに、シュガーの存在がフィクションっぽくてどうにも笑ってしまう。でもここが良い。この作品の好きポイントだ。
だから今回は、「この作品が伝えたかったこと」と言うのはふわっとした感じにしたい。あんまり深く考えても、意味がないように思えてきた。なんでかって言うと、前述した通り、読んで、分析していくうちに、モス夫妻が死ぬ前と死んだ後で、小説のカテゴリが全く別になっているように思えるからだ。だから、この作品は、ただただ、ストーリーを楽しむことが最も良い楽しみ方な気がする(私的にね)
ただ一応、物語上で心に残ったセリフがあるのでそれを紹介したい。これだ。
とられたものを取り返そうとしているとそのあいだにもっとたくさんのものがドアから出ていっちまう。そのうちあちこち止血帯をあてようとするばかりになるんだ。
ベルが保安官をやめると決めた時、叔父さんはこのようなことを言った。ベルはいろんなことを清算しようとしていたわけだが、そんなベルに向けた叔父さんのこのセリフがめっちゃ心に響く。
叔父さんはベルに過去にとらわれずに前に進んでほしかったと思う。この言葉はなんというか前半でぼろぼろになっていくモスを思い出すし、なんとなくだが、ストーリー全体に言えることじゃないかと感じる。
おわりに
映画を見たときには、蛇足だなと思っていたベルの独白シーンが、この小説で一番面白かったまである。小説を読むと、受け取るイメージが変わる作品だった。映画を見た方にはぜひ、小説版も読んでもらいたい。
読んでもらいたい他の理由として、文体が変わっているというのも挙げられる。「」が一切登場せず、セリフも、状況を説明する文も全て同じように書いてある。これがのっぺりとしていて変な気分にさせるし、セリフも、物語の展開も、どこか地続きにつながっている感じがして面白い。
この書き方が、映画のあの「音楽がほぼ登場せず、環境音で映画の奥行きを出している感じ」を彷彿とさせる。映画を見ている人は、この文体も楽しめると思う。
最後に、物語の終わり方について話したい。俺はあの終わり方、めちゃくちゃ渋くて好きだ。映画だとマジでわかりにくい(と言うよりも前提条件が違う)ので、これも小説を読んでよかったと思う。
夢でベルは、保安官ではなかった(祖父よりは尊敬できない)父親と会う。父親は先に道を進んでいって、ベルは「この先には親父がいて、寒いところ焚火をして待っている」とわかったところで目が覚め、物語は終わる。
この終わり方は、ベルが保安官という肩書や、過去からいつか抜け出すという暗示だと個人的には思っている。これは保安官として、血と暴力の国であるアメリカに立ち向かうというわけではなく、老人の居場所がないなら父親のようにしようという意志の表れで、それが尊敬していなかった父親と初めて分かり合えた瞬間な気がした。
これは今までの金の争奪戦とは、また別の良さがあって渋い終わり方だなと個人的に思う。
映画にはなかったモスとともに、メキシコ人に殺された女の子の話や、気難しそうに見えて実は優しいモスというキャラクターについてなど、もっともっと話したいことがあるが、長すぎるのでカットします。
小説読んでない人は、マジで読んだ方がいいと思う。面白いです。
また、長くなりすぎました。次回の評論は短くします。
以上!!!!!
前回のゆるふわ評論
小ネタ:このゲームと、今回評論した小説は舞台が全く同じです。アメリカとメキシコの国境近く好きすぎだろ。
次回のゆるふわ評論
小説
『乳と卵』 川上未映子著
を予定
