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厭。厭。厭。 『乳と卵』 エンマのゆるふわ評論 第8回


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隔週土日開催 エンマのゆるふわ評論

エンマのゆるふわ評論とは...
隔週土日曜日に行う評論、批評記事。

対象は小説、映画、漫画、ゲーム、音楽...etc

自身が見て聴いて読んで、思ったことを内省し思いを吐き出すコーナーです。自分の思ったことを整理するのが目的でもありますが、何よりもその作品の素晴らしい部分を皆さんと共有したくてやっています。

今回は小説!
『乳と卵』!!! 川上未映子
(ちちとらん) 

表紙好き


よろしくお願いします!!

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はじめに(ネタバレなし)

今朝、芥川賞および、直木賞が発表された。今回ゆるふわ評論する『乳と卵』は2007年下半期の芥川賞に選ばれている。タイムリー。

何故この本を読もうと思ったのか覚えてはいないが、誰かから勧められた気がする。今はその人に感謝したい。めちゃくちゃ面白かったから。購入する前に少し立ち読みしたわけだが、物語の始まり方に食らった。

始まりは、登場人物の1人である小学生(もしくは中学生)の緑子の日記から。口語というか、記録のような文体で、ストーリーが始まっているのか、いないのか読んですぐはわからなかった。ただそれは、出鼻をくじかれたというよりも、この小説の少し変わったペースにいきなり引き込まれた、みたいな感じだ。

この『乳と卵』は、そんな感じの特有なペースに包まれていて、それが居心地が悪いような、それでいてなんとなく流れに乗せられるような気がした。不思議な小説だった。

冒頭の緑子の日記では最後こんなことが書かれている。

いや、という漢字には厭と嫌があって厭、のほうが本当にいやな感じがあるので、厭を練習。厭。厭。

『乳と卵』

ほんまの手書き日記みたいやな。というかこの厭の方が嫌より「いや」っぽいと思える感性。素晴らしい。この一文が好きすぎて、ゆるふわ評論の題名も「厭」を使っている。それにこの物語は、「現在の自分に対する拒絶」の物語でもあると自分は思うので、「厭」という言葉はタイトルにちょうどいい。

ということで、次の見出しからはネタバレありでこの作品について語っていく。この作品の素晴らしいと思ったところなどに触れていきたい。

では、

〈はじめていきます〉

(小ノートに寸毫の迷いなく力強く書いている)



この先ネタバレあり!!!!!


(約4000文字あります)



1,突飛だがどこか読みやすくもある文体

この作品を語る上で避けては通れないもの、それが文体だ。なかなか癖が強い。「はじめに」で触れた緑子の日記が終わり、主人公の「わたし」の視点に移ったときの最初の文がこれ。

巻子らは大阪からやってくるから、到着の時間さえわかっていれば出合えぬわけはないし、ホームはこの場合ひとつやし、わたしは前もってきいておいた到着時間を携帯電話に入力して、通話ボタンを一回押して記憶させておいたのでその点は安心、歩きながら無数にある円柱にぴったりと巻かれたつるつるの広告を何度も何度も横切って、しかし広告に使われている老女優の着物の柄が、鏡餅なのかがこれではわからないな、電光掲示板を…….

『乳と卵』

まだまだ続く。

かなり変わった文体だ。一文が長い。というよりも、思考をそのままアウトプットしている感じ。思考は0にはならないから、句点によって永久に続くイメージ。

正直、最初は読みにくかった。が、読んでいくうちになんとなくこの流れの癖と言うか、語り手である「わたし」の思考が進む方向に慣れていく感じがして、この文章に違和感を覚えにくくなる。

そうすると、物語と自分との間で妙な一体感が生まれる。小説と自分の脳味噌をそのままくっつけた感じ。この感覚が物語を読んでいてクセになる。今まで経験したことのない感覚だった。面白い。


2,緑子の日記

これも『乳と卵』の中でお気に入りな部分の1つだ。「わたし」の視点で進んでいく物語の間に緑子の日記が挟まれる。これが良い味を出す。

「わたし」の姉である巻子の娘、緑子は作中、小ノートに文字を書いてコミュニケーションをとる。つまり自分から喋らない。何を考えているかわからない。

しかし、登場人物は「わたし」、巻子、緑子の3人。緑子の思っていること、考えていることを描写しなくてはならない。そこで日記だ。日記は緑子の思っていることを読者に伝える役割をしている。テクいなぁ~。

物語前半の日記は、自身の生理に対する嫌悪、女子から女性に変化していく体に対しての不安を綴っている。(これに関して詳しくは次の見出しで話そうと思う)

だが後半になってくると、母親である巻子への気持ちを書いていく。これが良い。ストーリーが核心に迫っていくまで、巻子と緑子はコミュニケ―ションをほぼ取らない。

もし取ったとしても緑子はノート越しで会話し、巻子もイライラしていて、ほぼ親子喧嘩のようなコミュニケーションだ。しかし、日記でわかるが緑子はこう思っている。

…..お母さんはそのこと知ってるんやろか、知らんかったらたいへんなこと、知ったら気が変わるかも、ちゃんと話の時をつくらな、あかん。なんでそんなことするのかってあたしちゃんときけるかな、胸の話とかしやんと、全部、ちゃんと、したいねん
                   緑子

『乳と卵』

これがまじで心にクる。巻子、緑子の関係が読んでいて辛くなった。見出し1で話した物語に没頭できる利点がここでは仇になった。

こういう心情をすべてさらけ出すっていうのは大体が物語のクライマックスに来るんだけど、緑子は喋らない。だからこそ、さらけ出しやすい日記という媒体で読者に伝える。作者の工夫に圧倒された。


3,巻子と緑子の鮮やかな対比。

この物語で一番俺が好きなのがこれ!!唸るほど鮮やかな巻子と緑子の対比。

巻子は自身のコンプレックスである胸を豊胸したい。緑子は体が成長して胸が大きくなっていくのが厭。巻子は緑子を産んでお乳をあげてから、胸がしぼんでしまった。しかし一方で、緑子の胸は巻子の胸を吸い上げるように大きくなっていく。

多分だが、巻子は緑子に女としての嫉妬をしている。自分が持っていない若さとか美しさとか胸とかをこれから持つわけだから。

親が子にそんな気持ちを向けるかって話だが、巻子は大阪でうだつの上がらないホステスをやっていて、いまだに女としての美しさを競う世界に身を置いている。だからこそ、母ではなく女として、いまだに緑子に接してしまう。

物語クライマックス手前、巻子が元夫とあって酔って帰ってきた日、緑子に絡む時こう言った。

あんたは、いつもあたしの話を聞いてないし、あんたはあたしをいつも馬鹿にして、馬鹿にしたらええわ、……

『乳と卵』

酔ってるとはいえ、緑子に母ではなく女として接してると、ここでも感じ取った。

だが逆に緑子はというと、中華料理屋で巻子のことを〈気持ち悪い〉と小ノートに書いて拒絶したりしたが、実際は母の愛を欲しているし、母の身を案じているし、母のことを愛している。日記でも確認できるし、物語のクライマックスで緑子が声を出した時のセリフからも想像ができる。

この巻子と緑子の残酷なまでの対比が美しすぎる。めちゃくちゃ好きだ。


4,ああ、言葉が足りん。云えることが何もない、そして台所が暗い、

物語のクライマックス。

巻子は元夫と会って酔って帰ってきた後、緑子に絡んだ。そこで緑子は巻子に喋りかける。その言葉は「お母さん、ほんまのことを、ほんまのことをゆうてや」だった。

巻子と緑子は「ほんまのこと」について問答をしばらく続けるが、急に緑子が流しにおいてあった玉子(卵)を自分の頭で割る。そうして泣きながら緑子が玉子を頭で割り続けるうち、巻子も堰を切ったかのように動き出し、同じように卵を割る。親子2人は、卵黄卵白まみれになる。

「狂おしい」という言葉がここまで似合うシーンはない。好きだ。

緑子の言う、「ほんまのこと」について考えていたが、自分の中では「ほんまに私のことを愛してくれてるのか」、「なんで豊胸するのか」とか様々なことが聞きたくて「ほんまのことをゆうてや」と言ったんじゃないかと思う。

緑子が玉子を割りながら、母親である巻子への気持ちを吐露するシーン。ここめっちゃ苦しい。緑子は母のことが心配だし、早くホステス辞めさせて楽してあげたい、でも働くには大人でなくてはならない。でも大きくなるのは厭。読んでて苦しすぎる。

母を愛しているからこそ、自分が生まれたことによって母が苦しむくらいなら、豊胸するくらいなら、自分なんか生まれんかったらいいと緑子は思う。だから日記にも「誰も生まれてこやんかったらええのに」と書いたのだろう。

緑子が玉子を母に投げなかったのも、母を愛しているからこそだと思う。

巻子は緑子と共に玉子を割る。そうして「ほんまのことなんてな、ないこともあるねんで」と緑子に言ったり、ハンカチで緑子の頭を拭いたり、髪の毛を何度も耳にかけてあげていた。この行動は俺には母親っぽくみえて、巻子が女ではなく母親として緑子に接することへの萌芽に感じた。


緑子が喋り始める前の、巻子と緑子の一触即発状態で「わたし」はこう思う。

ああ、巻子も緑子もいま現在、言葉が足りん、ほいでこれを見てるわたしにも言葉が足りん、云えることが何もない、そして台所が暗い、そして生ゴミの臭いもする、……

『乳と卵』

この一文がクライマックスのなかでもかなり好き。「この2人のいざこざって言葉たらんだけやな」って思うことは結構ある。

でもそこで「俺の言葉が足りん」って思うことなんかなくて、ここでハッとさせられた。こんなにも気づかされる文章にも関わらず、後半は台所の話を急にぶっ込んでくる。この文体が良い。


5,おわりに

母と娘の話。初めて読んだ。登場人物が女性しか出てこず、それでいて女らしさとか、美しさ、肉体について深く切り込んでいる小説はかなり新鮮だった。湊かなえは母と娘の小説を書くイメージがあるので読んでみたいなとも思った。

この話の主軸は拒絶言葉だと感じる。巻子も緑子も変わっていく自身のことを拒絶しているし、2人とも互いに拒絶している。だが、緑子が自身の気持ちを言葉にすることよって、親子2人は自身の気持ちを共有することができた。

素晴らしい作品だった。


ひとつ後悔していることがある。それは俺が男だということ。別に時をさかのぼったところでどうにもできないから後悔ではないな。まあいいとして。

作中では、生理について緑子と「わたし」から語られた。あれらのシーンを本当に意味で理解するには、女でなくてはいけないのだろうなと思う。

俺には本を読んでその感想を教えてくれる女友達はいないので、クソ悔しい。女性目線でこの作品についてどう思ったか俺に教えてほしい。

ということで今回のゆるふわ評論を終わりにしたいと思います。好きなことばかり書いていたら、また長くなってしまったのは反省しています。

以上。読んでいただきありがとうございます。




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