「生」と「画面」の違い。
自粛でいろんなとこから配信の相談とか受ける羽目になっとるがさ、言う人と言わない人分けてるっちゃ分けてるけども、特に演劇の人らは根本のことを誤解していることが多いと感じることがある。気のせいかもやけどな。
舞台でやるはずだった前提のモノを映像にしても、所謂公演DVDならともかくそうでないものはほぼ確実に閉鎖的である構図と関係は変わらないと思うんだよね、そこを無理矢理「生」から「画面」にすり寄る時点で発想は狭い。そして連呼する、オフライン・オンラインということを。
それは別に悪いことではないんですよ、実際問題。キャパ数を減らさないといけないということで配信でそこの補填をすることというのは間違いではないし、オンラインであることで遠く離れた人も観ることが出来る。
でもさ、20数年前にすでに実はインターネットの普及で、世界に生で配信ということをされている、していたところはあった。コラボ的なものとかね。それを知っている人はどれだけいるんだか。ただまぁそれは世界各国でも伝わりやすいものだったのはあるけれども、今更感というか、良くも悪くも受け身の人らが多い。何故、自分らの為の自分らの形を考えないのかなと。
ワシがはるか昔に業界引退したのは諸事情あるけど、当時チケット購入のシステムというものがなく、ワシはそれを作ろうと思った+宣伝ツールとしてのWEBを強化するっていうんで業界離れて勉強?タイムに入りましてね、結局のところ業界戻らなかったんで作らなかった。そして戻ってみたら、まぁ乱立してるよね、増えてるよね、そりゃそうだよね(笑)
文明の利器の進化・発展は早く、でもそこに演劇の人らはついていっていないのは明白で、そこにこのオンラインでーでしょ。そもそもオンラインって言葉で作品作ろうとするのがなんかちゃうんやないのかなと。
そもそも「生」と「画面」ものっていう表現手段は昔からたくさんある。映画だろうと、音楽だろうと。でもさ、そこにはきちんと両方の良さがあって、自宅で見る・聴く、でも映画館で、ライブ行ってまた違う楽しみを…みたいな触発というか、誘導・連動する動線作ってるわけやんけ。なのにオンラインと言うんすか、区別するんすか、おかしくないっすかと思う。
確かに演劇は劇場行って見ることで成立するものだと思う。だけども、それを「画面」にした場合、成立することはほぼない。音楽で言えば最近はしないんだろうけど、ジャケ買いでCD買う人はいた。映画もいた。でも公演DVDを芝居観たことがない人が買うかと言うたらそもそもいないと言い切りたい。よほどテレビやらで気に入った役者がいたらあるやろけど。
ある意味、孤立している。孤立させているのは当事者の意識かどうかは知らない。zoomならインプロとか合うよね?とか今、意見が出ていることがそもそも無関心の証でしかないよ。この機能使って、何か作れるかってことを考えたことがなかったってことやもん。つまり受け手だけではなく、文明の利器とも対峙していないってことだ。「生」と「画面」の良さの違いを考えたことなかったよね、そしてそこを=にすることもね。
ちっとも新しくないところに騒いで配信して、でも原型の発想力が生の演劇の作り方や、それこそ台本そのものだったりするんだけど、ちゃうから、構成の仕方が、何かと。一枚の絵の構図として考えたらさ、映画はある程度視点の固定をされているから見やすい。でも舞台は動き回ること大半のでそもそも視点の選択肢が発生していて、強制は出来ないところにそれを長編で配信して、さらにzoomやらで無理矢理視点を固定させる時点でキツイわ。視覚的なことにも無頓着だよね、やはり。
「生」と「画面」を=にする考え方した方がええのになーとやはり思うよ。
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