本当は知られたくないマネジメント大失敗談
私たちリーダーやマネージャーがマネジメントする人材は、どんどん多様になっていますよね。共働き世帯が増え続ける現代では、働く人の属性も、目的も多様になり、マネジメンとの難易度はより一層上がっています。
時短勤務の子育て中・育児中・親の介護中メンタルを抱え中・副業中・通学中と様々なメンバーがいます。
チームが結成されて、後回しにしてはならないこと。それは仕事の眼鏡です。仕事の眼鏡とは何か、今日はリーダーになった私が、最初に大失敗したことについて話します。分かった気になっていて、いざ書き出してみると意外と言語化できない、それが仕事の眼鏡です。
メンバーから初めてのリーダーへ
リクルートに入社して5年目、私はリーダーになった。リクルートのリーダー職はチームの行動改善と内省を促す仕組みを作るといった役割があり、いわゆるHOWを組み立てて、メンバーを動かすことがミッション(=戦略を体現する)だ。
当時まだ何もわからなかった私は、どうすれば業績を作ることができるのか、施策を考えたり、工数を計算したり、実現可能なレベルの妥当性を考えたり、到達が可能かといった、作戦を練ることに時間を割いていた。
これは自慢でもなんでもなく、メンバー時代、私は一度も業績を外したことがなかった。今から考えると、部長陣の目標設定が非常に絶妙だったということも分かる。既存の延長では達成できないが、決して仰げば尊しの目標ではなかった。(達成し続けることで、勝ち癖を順調につけていった先に、大きな目標を追うことができるのだと思う。)足りないものは、作るしかないということを、叩き込まれてきたように思う。
業績という言葉が通用しない状態
当時のリクルートは、派遣社員で顧客対峙ができる組織を目指していた。だから私にとっての初めてのメンバーは、全員が「派遣社員」だった。当然ながら、彼ら個人に売り上げの目標はない。この営業目標をどうやって達成するか全リーダー、マネージャーは頭を悩ませていた。
業績達成だけを追ったチームの末路
「いつまでに、何を、どれくらいの量とレベルで行動したら、達成が見える」自分なりに策定した行動計画の下で、私はメンバーを動かそうとした。ところが、そこから悲劇が始まった。初週から計画通りのペースに及ばず、顧客からのクレームが想定外のところで発生したりする。自分の中ではあり得ないことの連続だった。
当時の私のマネジメントは、メンバーが誰であろうと同じことを強いていたのだろうなと今から考えると思う。
「お願いやって…」「いいからやって…」と、内心思っていたし、「どうして動いてくれないんだろう」とイライラもしていた。自分がやったほうが早いかもな…と思ったこともあった。
そんな私の対応が、思いっきりメンバーに見抜かれており、あれよあれよと総スカン状態になった。冷たい反応、無言のチーム会。それでも、何とか、というかかなり強引に、そして無理やり達成にこぎつけたが、何とも言えない喪失感と孤独。2度と味わいたくない感情だった。
私は、あなたではない。もう一緒に働きたくない。みんな言ってますよ。
四半期の締め会の後、当時のメンバーから宣言された。達成したのに、まったく嬉しくなかったのは、入社して初めてだった。泣きながら電車に乗って、家に帰って、声を出して泣いた。当時の私は、悲しみを通りこして、憤りすら感じていたし、毎晩眠れないし、毎朝、電車の中で泣くのをこらえて出勤していた。
メンバー全員の、「働く眼鏡」を見にいった
このままではダメだと思って、私はメンバー10人全員に面談を願い出て、自分が間違っていたことを謝った。面談の時間すらくれないのではと思っていたのに、メンバーは、何が不満だったか、何が不安だったか話をしてくれた。(私はとても人に恵まれていたんだと思う)
1人1人が置かれている状況、価値観、思考、仕事への思いを聞いた。働く眼鏡とは、私たちがある事象を捉えるとき、何らかの「眼鏡」を通し解釈をしながら見ているというのと同じように、仕事用の眼鏡が存在しているということだ。みんな違うのは当たり前なのに、私はそれを知らずに、知ろうともせずに仕事を進めた。
同じ目線に立ち彼らの眼鏡をかけると、納得&理解することもあって、私の中の思い込みや、自分の中での当たり前を押し付けようとしたこと、仕事なんだからと強引に人を動かそうとしていた私の行動そのものが、改善すべき問題だった。この状況を招いていたのは、彼らの責任ではなく、自分の問題だった。
私は一体、何を見て仕事をしてきたのだろうと、情けなさと申し訳なさで、また泣いた。
チームの成長を導くリーダーシップへの転換
私がやってきたことはマネジメントなんかじゃなくて、自分のやり方を押し付けていただけだったと気づけたら、驚くほどにやることが見えてきた。言葉の使い方、話す順序、人に合わせて理解や納得度やずれが発生しやすいポイントを掴んで、より彼らの納得度が高まるように自分の思考を変えた。当たり前で片付けず、何が彼らにとってメリットになるのか。売り上げではなく、価値でマネジメントをしていった。そうやってコミュニケーションを1から見直した。
「私が」ではなく、「みんなが」成長できる環境を作ることが、リーダーの仕事なんだと分かった。
死ぬほど泣いたあの失敗があったから、私は変わることができた。チームは1 for ALLなのだ。このチームでの戦い方、このチームの強さは何かを研究するようになった。人はどんな時に楽しいと感じるのか、やりがいを感じるのか、そして、仕事を通じて私が成し得たいことは「一生の友(熱中体験を共に経験する人)を作る」ということが自分のテーマになっていった。
私はこのことをきっかけに、サーバントリーダー型のマネジメントに切り替えた。メンバーの力を引き出しながら、チームの成果を最大化していく。成果を継続できる持続可能なマネジメントだ。お時間許せば是非。
これからの時代は、メンバー個人の成功を一番に考えらる人がリーダーが、
結果、組織全体で成果を出す。誰かの正解に従って全員が同じことを実施して、成果を出すのではなく、正解が決まっていないからこそ、トライ&エラーを高速で回せるチーム力が必要なのだ。それには、まず、メンバーの働く眼鏡を知ることがスタート。
私ほどの失敗をした人は、正直あまり見たことがない。でもこれに近い状況に陥っているのに気づかない組織は、たくさん見てきた。短期、中期の業績管理、戦略戦術策定と実行支援、評価や査定、山のようにやることがあるけれど、最も重要で根幹となる「誰と仕事をしているのか」を知ろうとするところなのだと私も思います。
大失敗談シリーズ、こちらもあります。失敗ばかりの連続でしたが、その失敗が私の学習になって、マネジメントの面白さを知る原動力になりました。
もし投稿がいいなと思ったらスキをお願いします😊私の失敗が、多くのリーダー、マネージャーに届きますように。