ざっくり『源氏物語』#2 桐壺②
なぜかざっくりしか話さないのに、全然進まないざっくり源氏、
今回は桐壺の更衣がなくなった後からのお話。
帝は美しい息子が不憫であった。自身も愛する桐壺の更衣が忘れられず、面影を宿す皇子を連れて出勤し、政務も手につかないご様子。臣下のみなさんにも、弘徽殿の女御にも嫌がられます。まあ、そうなるよね。
高句麗から来ていた当たると評判の人相見(まあ占い師ですね)に皇子があんまり美しい上に聡明なので、この子も占ってやってくれと頼むと「この子は大変優秀だが、この子を帝位に据えると、大変国が乱れますよ」と。
帝以外全員知ってる!!
そんなこんなで、7歳になった源氏(あれから4年もそんな風に過ごしていたのか!!)は「源」姓を賜って、臣下に下ります。
もともと臣籍降下っていうのは律令で決まってました。4代下るまでは皇籍ね、とか。
「女御更衣をあまたさぶらいける」のは帝の子が生れないと一気に国家転覆の危機になるからですね。(律令制が入ってくるとき、科挙制度(学力考査制度)も入ってきたけど、血縁関係を重視する日本ではサクっとそのあたりはぐだぐだにしちゃいます)でもちょっとした三親等くらいの人間がざっくり50人もいたら皇位継承どころじゃなく、官位も足りないし、お金もかかるし、ということでザクザク姓を賜って臣籍降下となったわけですね。桓武天皇の時に100人一気に降下したっていうから、貧乏皇籍よりはさっさと姓をもらって地方とか行って荘園経営したり、土着化した方が食っていける、ってことですよね。
そんなこんなで皇子は「源氏姓」をもらって以後、源氏を名乗るわけです。平安時代はだいたい源氏か平氏になります。実在の人物でいうと源博雅さんとかは源氏姓の貴族なわけです。
また長々こんな話をしてしまった。
源氏物語に戻りましょう。
そうこうしているうちに、帝に新しい女性が入内します。桐壺の更衣の血縁で藤壺の女御。女御ですから、家柄も後ろ盾も割と強め。
帝は愛したあの人の面影を宿す藤壺を身代わりのように愛するし、源氏も「お母さんにそっくり」と言われ、連れまわされているうちにすっかり懐いたのでした。それを見て、まるで親子のようだ、お元気だったらこんな感じなのに、と周囲は涙涙涙なのでした。
あーあ。余計な事を。っていうか、そもそも似てるからって入内するとかなくなった桐壺の更衣にも藤壺の女御にもほんと失礼じゃない?と思うのですが、この「形代の女性」は源氏物語全体を通して共通したテーマになります。
で、まあ源氏の姓を賜って、藤壺の女御の入内により、帝の子どもと亡くなった桐壺の更衣に対するご執心もほどほどになり、政務にとりくめるようにもなって、周りも安心、といったふうになったのでした。
尋ねゆく幻もがなつてにても魂のありかをそこと知るべく
桐壺の更衣の歌に対する返歌ですね。これはなんていうか、人づてにでも、幻術士にでも(桐壺の更衣の)魂のありかを聞きたいよ・・・会いたい!という中国の言い伝え、「反魂香」の話です。
反魂香っていうのは、漢の武帝が李夫人という寵妃の死後、術士に頼んで霊薬を作ってもらいました。(だから、帝の歌に幻とか出てくるのね)それを焚いたところ、煙の中に李夫人の姿が見えました。だが、それがどうしたというのだ、武帝は余計心が苦しくなったのでした。この霊薬を反魂香。極楽浄土に行った魂をこちらの世界に引き戻してくる霊薬です。唐の詩人白居易はそのことをこんな感じの詞で詠みました。
一度心を奪われた羅、苦しみ哀しみ自分ではどうすることもできません。愛しすぎないように自らを律することが大事です、と。この詩が日本にわたってきて、白氏文集を神のように崇めた貴族たちは確かに、と深く納得しながら、しかし、愛しい人に出会い、そこまで心を奪われてこそ。と歌に詠みました。
紫式部のお父さんは漢学の博士でしたから、白氏文集講釈なんてお手の物。漢字の「一」すら書けないふりをしている、と日記に書いた紫式部は彰子に頼まれて白氏文集の講義ができるほどの知識を持ってましたので、この歌を帝が詠むのにふさわしいと考えたのでしょうね。そして、その知識とさも帝が詠む歌である、という点も含めて女房たちだけではなく、知識と教養を持った人々にも受け入れられた文学だったのでしょうね~!
これで、桐壺の巻は終わりです。
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